浮世絵版画の発展
・・・菱川師宣に始まる
浮世絵の発展は、<一枚絵の版画>を菱川師宣が始めたことによる。
それまでは、絵師が描く<肉筆画>で、買うのは一部の富裕層に限られ、一般庶民には届かなかった。
<版画>となった浮世絵は、かけそば一杯、十六文くらいの値段で買えるようになったという。
菱川師宣が始めた1670年(寛文10年)ごろは、まだ多色刷りの<錦絵>は存在せず、
当初は黒1色で摺った白黒の<墨摺絵(すみずりえ)>として刊行された。
*菱川師宣の作品では、吉原遊郭の風景を12枚の組物版画として構成した「吉原の躰」が知られる。
例えば
下、菱川師宣の墨摺絵 :「上野花見の躰 編笠武士と若衆」
また、奥村政信の墨摺絵
「小姓さんろ 草かり笛(用明天皇故事」。これには<手彩色>が施されている。
小姓さんろ
まもなく、墨摺絵に手で彩色した<丹絵(たんえ)>が登場。
これは「丹」(紅殻)を中心に、黄土などで彩色された。、
延宝年間~正徳年間(1673~1716年)に制作され、菱川師宣も制作をしている。
丹絵では、鳥居清倍の「市川團十郎の竹抜き五郎」が知られている。
竹抜き五郎
菱川師宣の死後、紅色などの絵の具を使用して手彩色する<紅絵(べにえ)>や、
<黒>を漆で引き立てる<漆絵(うるしえ)>が登場。
<漆絵>は、光沢がよく出て特徴あり、私も初めて川崎浮世絵ギャラリーで観て興味を持った。
下、漆絵の例として奥村利信の絵
その後、複数の版木を使い、<見当(けんとう)>という目印を付けて位置を合わせることで、
紅色と緑、黄などの数色での印刷を可能とする<紅摺絵(べにずりえ)>が登場。
<錦絵>の一歩手前まで来た。
それまでは墨摺絵に<手で色を施す(手彩色)>しかなかったのが、版木に<見当>をつけることにより、
複数の版木を使って色を加える木版画の製作が可能となった。
例えば、紅摺絵では、鈴木春信の「風流やつし七小町 草子あらい」がある。
草子あらい
浮世絵と聞いて思い浮かべる多色刷りの<錦絵>の技法が確立されるのは、
菱川師宣の死後70年を経た、明和年間(1764~1772年)のこと、
鈴木春信の作品で誕生したという。
下、鈴木春信の「雪中の若衆と二人の美人」
こうして、挿絵に始まった木版画は、役者や花魁、力士のブロマイドとして、
あるいは名所ガイドやニュース、広告として、
または大人の性愛の楽しみとして……様々なニーズと結びつき普及した。
川崎浮世絵ギャラリーで私の興味あったもの。
勝川春章の「東扇 初代中村富十郎の娘道成寺」
娘道成寺
磯田湖龍斎の「雉と牡丹」
雉と牡丹
何よりも、かけそば一杯分の値段というのがすごい。
*現代の浮世絵制作の工房では、江戸時代の有名な絵師の版画が1万3000円~となっていた。