映画「死と乙女」(続)
<エロスの芸術家・画家エゴン・シーレ>
上:「死と乙女」 エゴン・シーレと、愛人かつモデルのヴァリー・ノイツィル。
ヴァリーの死により「男と乙女」の題を変更したという。
エゴン・シーレは常に手帳を手放さず、彼の目が捉えたものをイメージが湧くままに直感的に形象化する。
その独自のイメージを手帳にスケッチし、あるいは身近にあった紙やボール紙にもデッサンする。
彼の描き方はスケッチやデッサンでも、伸びやかで鋭い線を多用する。
デッサン1
後には、線描が多少柔らかになる。
例えば、「死床のエーディト」のデッサン画のように。これは、エゴンの最後の作品となった。
死床のエーディト
クリムトに会いに行ったシーレのデッサン画を観て、クリムトは自分より上手だと褒め、シーレの才能を見抜き、
その後も物心両面で何かと彼を支える。
映画では、裁判で弁護士を雇う費用はクリムトからのようだ。
いずれにせよ、シーレは彼の目に映った対象の<躍動感>を一瞬に閉じこめ、
彼の心象をそこに重ね合わせたような描き方をする。
彼は街や自然の風景も描いているが、
人物画ならば<捩れた痩せこけた身体>、
<鋭い目線や角張った表情>、
<長く節くれ立った茶色の手>などなど、
彼独特の描き方によって、この絵は間違いなくエゴン・シーレのものだと分かる。
首を傾けた自画像
痩せこけた身体
28歳の短い生涯をエゴン・シーレは、<世紀末ウィーン>を駆け抜けた。
同時代人フロイトは、<エロスとタナトス>という人間の根源的な衝動を著した。
まさに、エゴン・シーレは、彼の画業を観るに、その典型ではないかと思う。
100点にのぼる自画像を描く自己への執着は、
シーレが<自己の生と死の衝動(羨望)にいかにこだわっていたか>を顕すと。
また、多くの女や少女の絵は、この映画では触れてないが、
映画「クリムト」によると、彼にはサディスティックな側面があったようで、
モデルとした女性たちへの複雑な感情、愛憎こもごもな感情を表しているのではないか。
実際のシーレはそれだけ陰影に富んだ人柄、一筋縄ではいかない人物であったようだ。
例)スカートをまくり上げた黒髪の少女ほか
黒髪の少女
少女
28歳の短い生涯をエゴン・シーレは、<世紀末ウィーン>を駆け抜けた。
同時代人フロイトは、<エロスとタナトス>という人間の根源的な衝動を著した。
まさに、エゴン・シーレは、彼の画業を観るに、その典型ではないかと思う。
エゴン・シーレの画業
「49回分離派展ポスター」、
手前の空席は亡くなったクリムトの席。
分離派展ポスター
「ウィーン・モダン展」から、絵の大きさが大分違う。
左、「アルトゥール・レスラーの肖像」
右、「ひまわり」、これがひまわりか!
モダン展
ひまわり
「友情」と
「浮遊」
「古い街Ⅲ」、緑の中の街。シーレの風景画には人影がない。
<コメント>暗い色調の中に差し色が効いていますね。
風景画では、川辺に建つ家々の絵が心に残っています。
「古い街Ⅲ」
「川辺の家々」
映画「死と乙女」の<コメント>
1,中島さん
この頃つくづく あふれる美術芸術の中で 苦しみぬいたもの
表現せずにはいられなかった苦しみ を抜け てきたものの強さが 迫ってきます
無言の表現 勿論 見る人の好きずき ですが
2,シーレはエロスの画家として名を成した。彼は浪費癖や借金のため絵を売る。
映画では<芸術は金で買えない>と言うが、しかしコレクターが欲しがるようなポルノまがいの絵を描く必要もあったか。
3,塚本さん
シーレの映画、ジェーンバーキンが愛人のモデルをやっている映画も見ましたが、
バーキンがあまりにも堂々と美しくてミューズ感に溢れていて、
「エゴンシーレ 死と乙女」でのヴァリを演じた女優さんの方がシーレに翻弄されながらもポルノまがいの絵を売る手伝いをし、
客から好奇の目で見られながらもひたむきにシーレについていく様はまさにシーレ描く「死と乙女」さながらでした。
4,そうですね。ヴァリーの献身的な愛、ひたむきな愛がよく分かりました。
エゴンの虫のいい提案を拒絶するんですが、従軍看護婦になっても、彼と戦場で会えるかもと願う。
最後に、彼と一緒に住もうと以前決めていた地、アドリア海に面したダルマチアで死んでしまうんですよね。
エゴンはヴァリーを捨て、中産階級のエーディトと結婚したにもかかわらず。 ヴァリー<いいね!>です。
5、エゴン・シーレは16歳でウィーン美術アカデミーに入学、死の28歳まで12年間しかない。
一躍有名になったのは死の数年前。彼は全身全霊を込めて画業に打ち込んで生きたんですね。
ちなみに、ヒトラーはこのアカデミーの受験に失敗、受かってたら別の人生を選んだかも。