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中欧文化圏
・・共通性と多様性
1)中欧の概念
日本社会から見ると、中欧概念はなかなかなじめない。
第2次大戦後の東西対立、
特にヨーロッパでは西欧概念に対する
「東欧」社会主義圏の成立によって、
「中欧」概念がほぼ断絶してしまった。
本来、中欧に属すると思われる国々が
ソ連圏に属することになったからである。
したがって、「中欧」という概念を意識するよりも
「東欧」として意識してしまう傾向にある。
それとと同時に、中欧を地理的位置から括ることも
難しいようである。
第2次大戦前、さらには第1次大戦前に遡って見ると、
それぞれに中欧の地理的な線引きがあって、
どう地理的に中欧を確定するかは困難のようだ。
したがって、より実際的な区切りは、
*)もちろん、細かく言えば切りがない。
<文化的な共通性>によるものとなる。
同時にそこには、多様性もある。
2)文化的共通性
「中欧」概念を文化的な共通性によって分けるとすれば、
かつてオーストリア・ハプスブルク家の支配下にあった国々、
チェコ、スロバキア、ハンガリーと、ポーランドを挙げることができる。
また、「バルカン」地域を含めた中欧という概念を用いれば、
*)旧ユーゴスラビア諸国、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア
西欧とロシアの間にある諸国ということになるだろう。
「ミッテルオイローパ」というドイツ語であらわされる「中欧」は、
「ドイツ人とその勢力圏の強調」というイメージがあるという。
とはいうものの、
チェコの亡命作家ミラン・クンデラによれば、
中欧とは「最小の空間に最大の多様性」が備わった地域ということである。
その多様性を、例えば民族言語によってあらわせば、
ドイツ語(ドイツ系ハプスブルク家の支配)を共通語としていたが、
西スラブ語に属するポーランド、チェコ、スロバキアの各言語と、
ハンガリー語(ウラル語系統)がある。
さらに、第2次世界大戦前には、
中欧に広く分布していたユダヤ人の存在も見過ごせない。
彼らは独自にイディッシュ語を使い、
同時に、ユダヤ系知識人は自己の居住する地域の言語を身につけていた。
例えば、チェコの代表的作家のカフカは、
ドイツ語で彼の文学を表現したが、
当然、イディッシュ語やチェコ語を
日常語としてしていたのである。
3)中欧の歴史
中欧におけるオーストリア・ハプスブルク帝国の支配は
約600年間続くが、広大な領土をかかえた帝国の支配は、
支配下に多くの民族をかかえ、その反乱に悩みながらも、
宗教・文化的多様性を容認していた。
このハプスブルク家の起源は、
スイス・アルプス山中の小貴族であった。
1020年に建てられた「ハビヒツブクル城」(現存)の名から、
領主オットーが「ハプスブルク伯」と称したのがはじまりという。
このハプスブルク家のルドルフ4世が
1273年「神聖ローマ帝国」皇帝(ルドルフ1世)に選出された。
その後、紆余曲折を経ながら、政略結婚(継承権の獲得)や
戦争によって次第に勢力を広げて行くことになる。
中欧諸国は、
相互に勢力均衡をはかりながら、
(ある時には対立、他の時には協調して)
複雑な関係を保っていた。
14世紀から16世紀にかけて、
ポーランド王国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、
リトアニア大公国が繁栄していたが、
ポーランド王国が最も繁栄した時期には、
ポーランド王ルドビーク1世は、
ボヘミア王とハンガリー王も兼ねて(いわゆる、同君連合)いて、
ハンガリー王としてはラヨシュ2世という。
さらに、この王が1526年、ハンガリーのモハーチでオスマン帝国に破れると、
ボヘミアとハンガリーの議会は、
ハプスブルクのフェルディナント1世を国王に選んだ。
ボヘミア王国(チェコ)は、
これ以後、実質的にハプスブルク帝国の支配下に入っ ていく。
ハンガリーは、
オーストリア領、オスマン帝国領、
トランシルヴァニア(としては独立)に3分され、
その後、オスマン帝国のウィーン包囲・撃退があり、
1699年の和約により、
オスマン帝国領はオーストリアに帰属、
次いでトランシルヴァニアもオーストリア領に編入された。
ポーランドは、
隣国のリトアニア大公国と協定を結ぶなど独自の道を歩むが、
やがて、ロシア・プロイセン・オーストリアによる第1回分割を受け、
クラクフを含む南部はオーストリアの支配下におかれた。
さらに第3回分割によって
歴史上からポーランドの国名が消える悲劇を迎えるのである。
「多民族国家」としてのオーストリア・ハプスブルグ帝国は、
諸民族の文化の共存の場であるとともに、
帝国内の文化的伝統を形成していた。
帝国内のさまざまな都市を結ぶ「文化的回路」があり、
ウィーン、プラハ、ブダペスト、クラクフという
中欧的な文化的都市には共通のイメージ・特徴がある。
*)旅行して分かったことだが、
プラハとブダペストでは、
その都市構造が驚くほど似ていた。
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