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古代エジプト史
・・神話群、ピラミッド・コンプレックス
現代に至るエジプトの歴史は8000年、
悠久のエジプト史を簡単には理解することができない。
1期、先史時代。
2期、古代王朝時代。
3期、プトレマイオス朝とローマ帝国領時代。
4期、イスラム時代の始まりからオスマン朝支配の時代。
ムハンマド・アリー朝から現代。
例えば、2期古代王朝時代。
この時期でさえ複雑多岐である。
およそ30の王朝が交替し、
ヒクソスやクシュ、「海の民」など異民族の侵攻、
さらに支配を受ける時期もあった。
こうした、王朝交替と異民族による混乱期を経過しつつ、
文化的な発展・変容も多々あるわけであって、
これらの発展・変容を各々位置づける必要があるのだが。
<エジプトはナイルの賜物>
エジプト史を通じて一貫して、
ヘロドトスの言うように
「エジプトはナイルの賜物」であった。
中王国時代の『ナイル賛歌』でも、
「(エジプトの)生命ある者、
すべてそれは彼(ナイル)の贈り物、
彼なかりせば生ける地なし」と謳う。
ナイルがもたらす肥沃な大地が
古代以来、エジプトを地中海世界の穀倉地帯としてきた。
現代に至って「アスワン・ハイダム」の建設により、
工業化への道を歩もうとしているのだが、
これすらもナイルの賜物であるに違いない。
また、8000年の歴史において
<宗教的・文化的>には、
1期、古代王朝時代の神話群とピラミッド、
神殿に象徴される古代宗教と文化の時期。
2期、ヘレニズム文化とキリスト教の普及による
コプト教(エジプト的キリスト教)とその文化の時期。
3期、現代に至るアラブ人の支配とイスラム教の普及による
イスラム文化の時期に分けられる。
表層上では宗教上の一貫性はないわけだが、
古代宗教以来の強烈な「来世信仰」が
エジプト人の意識の深層に
*)民族というよりナイルの恩恵を受けた人々という意味で。
一貫として流れていると言えよう。
とりあえず、ここでは
①神話群
②ピラミッド複合(コンプレックス)
この二つの文化的観点から
古代エジプトの歴史を見ることにした。
<神話群>
古代王朝時代にはナイルの増水を利用した
貯留式灌漑の単位にほぼ対応する
40余りの地方行政単位「ノモス」があり、
そのノモスの都にはノモスの守護神をまつる神殿があった。
その守護神(主神)が各々「天地創造神」であって、
その「天地創造神話」の多くは失われてしまったが、
推定されるところによれば、
天地創造以前には「混沌の水」があり、
この中から「原初の丘」が出現し、
そこに創造神(マアート)が現れて
秩序ある世界を創り出す、という。
ここには明らかにナイルの増水と
退いた後の大地の出現がイメージされている。
しかも混沌はなくなったわけではなく、
この秩序を維持する努力は特にファラオに期待される。
後でまとめられた「へリオポリス神学」では、
「原初の丘」に太陽神アトゥムが自生し、
自慰による精液から大気の神シュウと
湿気の女神テフヌートが生まれ、
この兄妹神の交わりにより大地の神ゲブと天の女神ヌートが生まれ、
シュウがヌートを持ち上げることにより天地が分離したという。
さらに、ゲブとヌートの子たち、
男神オシリスとセト、女神イシスとネフティスという
死と再生に関わる4神を含め、
9神1座の神統譜を形成し、
ついでオシリスとイシスの子、ホルスを組み込む。
ここから、「王権神話」が作られた。
すなわち、死せる王オシリスの地位を
生ける王ホルスが継承する、という。
またアトゥムに代わって
主神となった太陽神ラーが
国家的最高神の地位を得て、
ファラオ(王)は「ラーの子」とされて、
神による王位継承権の認証を獲得した。
こうして、「へリオポリス神学」は、
「メンフィス神学」、「テーベ神学」など他の神学と
相互に影響し合いながら、
最も大きな影響力を持つに至った。
現在でもエジプト神話群では、
ラー神とアメン神がエジプトの2大神といえる。
<ラー神>
元々、ラー神はへリオポリス(現マタリーヤ)の太陽神で、
先述したようにアトゥム神と習合。
また、その信仰は古く、古王国第2王朝の王名にみられ、
第4王朝のジェデフラー王が「ラーの子」を称し、
第5王朝で「ラーの子」が王の正式な称号となった。
ラー神の象徴が「オベリスク」であり、
ラーがオベリスクの頂から生まれ、初めて宇宙創造を行ったとされた。
ファラオは地上のオベリスク(ラー)に所属するとされ、
神殿の塔門の前に1対のオベリスクを建てる様式が出現した。
<アメン神>
アメン神の名は「隠れた者」を意味し、
元来は大気の神シュウの精霊で、風の神ともいう。
第5王朝からその信仰があるが、
テーベの第11王朝初期さらに12王朝開始以降、
ファラオの信仰が確立した。
また、この神は、他の神と習合、
例えば、コプトスのミン神と習合し、「ミン・アメン神」となり、
時に男根を直立させた姿で表される。
また、ラーと習合、「アメン・ラー神」となり、
ラー神の性格を獲得、
特に新王国第18王朝の軍事国家のファラオたちに崇拝され、
首都テーベの興隆とともに、国家神的性格を付与され、
大規模な神殿が奉納された。
その中心がカルナックのアメン大神殿である。
<ピラミッド・コンプレックス>
マスタバ墓から発達した「階段ピラミッド」にみられる。
サッカーラの古王国第3王朝のジェセル王のそれが、
最古の大型建造物で、
かつ、最古のピラミッド型式の王墓である。
ピラミッド・コンプレックスとは、
ピラミッドおよび葬祭殿などのその他の施設を合わせて
一体のものとみなすことである。
ギザのカフラー王のピラミッドでは、
河岸神殿(ナイルの増水時には船着き場としても利用された)から
参道を通ってピラミッドに至るように設計され、
河岸神殿の脇には「大スフィンクス」が造られた。
階段ピラミッドでは
ピラミッド本体の北側に葬祭殿が位置し、
王の死後の再生・復活、
永遠の生命を得る空間が北天であることを示す。
しかし、第4王朝のダハシュールのセネフェル王の「屈折ピラミッド」以降、
ピラミッドの向きは北から東に変化を遂げる。
これは、<北天の星辰信仰>から<東向きの太陽神信仰>への変化と結びつく。
こうして、ピラミッド本体の東側に葬祭殿が位置し、
さらに東へ参道が河岸神殿に延びた構造ができあがった。
*)ただし、中王国時代まで本体内部への入口は北側にあり、
北天との関係が残っていたことがわかる。
なお、葬祭殿は、
王の葬儀と死後の供養を行った聖所であり、
河岸神殿は
王の遺体の浄化と「ミイラ(保存処理)」の儀式を行った聖所といわれる。
*)ただし、ピラミッド本体について
<王墓ではない>という説もあり、謎は尽きない。
また、葬祭殿などの神殿については、
大別して、
太陽神信仰の「太陽神殿」
太陽神が天空を航行するための「太陽の船」も造られた。
神々への信仰のための「信仰神殿」、「葬祭殿」、
王の功績を誇るための「記念神殿」
*)第18王朝以降、
王墓が「王家の谷」に設けられると葬祭殿はない。
また、ヌビアなどナイルの両岸が崖となるため「岩窟神殿」が造られた。
第19王朝のラメセス2世のアブ・シンベル神殿が典型。
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