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    キルケゴールの思想




 <思想のいくつか
 1,ヘーゲル哲学の影響と、その対決。
  セーレンは彼の著作で使用する哲学的概念を
  ヘーゲル(1831年、死)に負っている。
  *)当時のデンマークでは、ヘーゲルに反対する者にしても
   ヘーゲル哲学の影響圏内にあった。
  そして、セーレンもヘーゲル哲学と対決することで
  独自の思想を形成した。

  ヘーゲルでは、有限的存在(例えば人間)は、
  それがまさに有限であるが故に現実の世界において
  常に自らの否定性の契機に直面するが、
  そのとき有限者はその否定性を
  弁証法的に止揚し、否定性を克服して、
  より高次の真理に自らを高めていくことができるとする。

  セーレンは、このヘーゲル弁証法の止揚概念を抽象的とし、
  個々の有限者(人間)は、現実的な主体として
  直面する否定性、葛藤、矛盾から
  自らを選択・決断しなければならないとし、
  このような観点から、彼は<逆説弁証法>を提示する。

  逆説弁証法とは、有限的主体(実存)は
  自らの否定性に直面したときそれに向き合い
  それを自らの実存的生において
  真摯に受けとめ対峙する論理 
   *逆説 アイロニー 例)ソクラテス的アイロニー


 2,主体性は真理である。ーー「実存」
  セーレンにとって、ヘーゲルにしても
  シェリング(41年、ベルリン大学で講義を聴講)にしても、
  学問的方法(客観性、普遍性の追究)による
  万人向けの真理はどうでも良かった。
  彼にとって誠実な追究から出てくる
  個別性に根ざした絶対的な確実性が問題であり、
  絶対的な真理(=神)が必要であった。

  実存的なものは客観的、普遍妥当的なものではなくて、
  厳密に個人的なもの、絶対に義務づけするものである。

  セーレンは自分を「無制約的なるもの」(神)の<使者>とみなす。
  「神にとってはすべてが可能である」=無制約な神


 3,「単独者のカテゴリー」(個別性) 
  主観的なものの表現に変えて、誤解なく使用するために導入した。
  単独者のカテゴリー、
  これは一切がそこの帰着するものであり、
  「非常に決定的なので、ここでしくじることは許されない。
   これは、本来<永遠のカテゴリー>であり、
   そしてそれ故にまた
   <時間において実存する思索者>にとっては
   もっとも努力がいる」ものである。
    *)実存する思索者に対して、「群衆」
      群衆はニシンの一群に似ている。
     一匹のニシンは実存しない。他のニシンと同じことをしている。


 4,その他
  「不安は自由のめまいである
   *)不安ーー可能性ーー自由
   *)「人間が根源的であればあるほど不安も深い」
   *)不安と恐怖
    不安は、深淵をのぞき込む時のめまいのように、
    不安の対象はない。
    あるいは自己の可能性、自己自身の自由への不安。
    恐怖は、何らかの対象に抱くもの


 <著作から
 1、「四つの弁証法的抒情詩」
  『おそれとおののき』の序曲
   (43年、ペンネーム、沈黙のヨハンネス)
  沈黙のヨハンネスはアブラハムの信仰の偉大さを讃える。
  アブラハムは一切のものを無限に諦めた。
  そしてその上で彼は不条理の力によって
  再び一切のものを手に入れた。
  不条理の力によって
  時間的なものの全体をとらえるには、
  逆説的で謙虚な勇気が必要だ。
  この勇気が信仰の勇気である。
  信仰は思考の終わるところから始まる。 


 2,『死に至る病』(49年)
  1部 「死に至る病とは絶望である」
  2部 「絶望は罪である」
  <1部>
  「人間は精神である。だが精神とは何であるか?
   精神とは自己である。
   だが自己とは何であるか?
   自己とはそれ自身に関わる一つの関係である。
   言い換えれば、
   自己は関係がそれ自身に関わるという関係においてある。
   自己とはただの関係ではなくて、
   関係がそれ自身に関わることそのことである。」
   *)自己は自己自身への関係、対自的な関係

  <絶望>
  絶望Verzweiflung 
  ギリシア的懐疑Zweifelの果てにある。
  「人間的に言えば、
   何ものにもまして美しく愛らしい女の若さ、
   ただただ調和であり、平和であり、喜びである
   この若さすらも絶望でしかない」

  人間とは無限性と有限性、可能性と必然性との統合であって、
  絶望は対立する二つの契機の一方を失って
  バランスが他方に傾くことから生じる。
   *)ヘーゲルの弁証法概念の影響 
    無限性の絶望
    自己の有限性を忘れる・・抽象的な無限の中で自己を見失う
    有限性の絶望
    一個の数となる・・貨幣のように流通・・世間的生き方
    可能性の絶望
    必然性を失う・・自己自身に立ち帰れない
    必然性の絶望
    可能性を失う・・決定論者・運命論者、
    なるようにしかならないという俗物
    ・・神にとって一切が可能であることを信じない。

  意識の3段階としての絶望
  ①絶望であることを意識していない絶望
  ②絶望しながら自己自身であろうと欲しない絶望・・弱気の絶望
  ③絶望しながら自己自身であろうとする絶望・・傲慢の絶望
   *)永遠的なものによって慰められることを欲しない
   *)絶望は一つの棘のように彼の肉体に深く刺さっている。
   この棘を永遠に身に引き受けようとする
   *)存在全体にあらがうために、
    絶望のうちにあって最後まで自己自身であろうとする・・悪魔的絶望

  「不条理の精神は虚偽に身をまかせるよりは、
   キルケゴールの答え、すなわち絶望を恐れなく選ぶ」(カミュ)

  「絶望」から「罪」へ。  
  間奏に「詩人的実存」

  <2部>
  <罪>
  「罪とは、人間が、神の前に、
   あるいは神の観念を持ちながら、
   絶望して自己自身であろうと欲しないこと、
   もしくは絶望して自己自身であろうと欲することである。」

  *)キリスト教はあらゆる人間をそれぞれ単独者に、
   単独な罪人にすることから出発する 
  *)イエス
  「汝はわれに躓くか、われを信じるか、いずれを為すべきである」
  「われはすでに言い終わった。永遠の世界でもう一度話をしよう。
   それまでの間、汝が何をしようと汝の自由だ。
   しかしやがて審判の時が来る」
 
 <キルケゴールの立場>
  「ヨハンネス・クリマクスは低く、
   キリスト者であることを否定している」
    *)『哲学的断片』(44年)
     『哲学的断片への結び、非学問的な後書き』(45年)のペンネーム
  「アンチクリマクスは高く、異常なまでにキリスト者である。」
    *)『死に至る病』(49年)、
     『キリスト教の修練』(50年)のペンネーム


 3,『人生行路の諸段階』(45年)
  ①美的態度  あれもこれも
   ドンファン的気分の感情移入にたくみ
   ・・セーレンの資質にある詩的文学的才能
  ②倫理的態度 反復、あれかこれか
  ③宗教的態度



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