「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」
七夕の日、小雨の中を新百合ヶ丘の川崎アートセンターアルテリオ館に行く。
時代はオーストリア・ハンガリー帝国の繁栄と凋落という激動の時代。
首都ウィーンはカフェ多く、そこが社交の場となり、
そこに画家や音楽家、作家など芸術家が集い交流し情報を交換していた。
映画はクリムトたち分離派が活躍した時代背景に焦点を当てる。
私は都美術館の「クリムト展で」観た彼の作品が生み出される状況をこの映画で知った。
グスタフ・クリムトの代表的作品の一つ、「ベートーヴェン・フリーズ」は、クリムトと分離派にとって
ベートーヴェンを古典派からロマン派へ脱却する偉大な音楽家として顕彰する(現代の評価はちょっと違うらしい)とともに、
前代の絵画から彼らが決別する意思の象徴であった。
彼らに音楽家マーラーも参画した。フリーズの黄金の騎士の横顔はマーラーのそれと一致するという(映画の映像)。
映画ではフロイトの精神分析学にも言及する。
フロイトと分離派との影響関係について不明としても、同時期にウィーンで活躍してくるから、
彼らは同じ雰囲気の中で過ごしている。
私はフロイトのエロス(生・性への渇望)とタナトス(死への衝動)とに、
クリムトとエゴン・シーレを結びつける主題の一つをみた。
彼らの制作を通して、生ないし性の奥底に死を見出し、死を通り抜けて復活・蘇り(輪廻転生)を観ることができるか。
下、クリムトの「死と生」、死者が覗き込む生者の世界に死者は何を見ているか?
「ユディトⅠ」 :男の首を持って恍惚とした表情を浮かべる女。
「リア・ムンク」 :死床にあって唇をかすかに開き息づかいするかのような顔。
エロスとタナトスはシーレの作品にも顕著に観られる。
シーレの「死と乙女」、愛人ヴァリーとの別れ。自分を死者になぞらえるシーレの思いは?
死と乙女
私は残念ながらこの映画だけで、シーレの実物の絵を観ていないけれど、
シーレの自画像の痩せ細った顔、姿形。
また、女たちの容姿の描き方も、生と死を一つに重ね合わせていると、私には印象深い。
クリムトの金箔の絵と対比してシーレの絵は、作風が全く違うが、同じ主題を奏でるようだ。
下、クリムトの「接吻」
下、シーレの「枢機卿と尼僧」
映画で知ったシーレは、中産階級出の青年、一筋縄ではいかない彼の性格、生き様も興味深い。
彼にはサディスティックな一面もあったと。
また、私が全く忘れていた作家シュニッツラーは、同時期のウィーンの作家であり、
彼の小説や題材がフロイトにエロスとタナトスの着想もたらした(彼宛のフロイトの手紙)。
私はシュニッツラーの小説を読み始めた。
クリムトたち分離派は、19世紀末から20世紀初めに活躍する。
第1回分離派展ポスター :検閲以前、ペニスが隠されていない。
1914年第1次大戦始まり、17年ロシア革命、18年終戦。
18年のスペイン風邪の大流行(パンデミック)がクリムトとシーレの命を奪った(55歳、28歳)。
このスペイン風邪は日本(日本人)にも影響が及ぶ。
ちなみに、クリムトの「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像」はオーストリア政府から返還された。
映画「黄金のアデーレ」によると、ヘレン・ミレン演ずるアデーレの親族の元に、所有権を巡る
裁判沙汰を経て返還された。
黄金のアデーレ :映画
アデーレの肖像
「ベートーヴェン・フリーズ」については「クリムト展」に掲載した。
クリムト展へのリンク