妖怪見立陰陽画帖
     ・・・国際日本文化研究センター所蔵

 <奇想の絵師>歌川国芳は、様々なジャンルの浮世絵を<もの>にしている。
 この作品(十図)は<妖怪もの>ジャンルで珍しい<肉筆画>だ。

 国芳は、自作の「開談百鬼夜行」や他の絵師、伝承や物語の題材から
 ヒントを得てこの<陰陽画(春画)>を描いた。
  *<陰>は女の<ぼぼ>、<陽>は男の<まら>、見れば分かるが。


 下の第一図は、「累の開魂」と題された。
 <>は妖怪となった女の名で、夫に無残にも鎌で首を切られて死んだ。
 累の怨念の祟りで、夫やその6人の後家たちが次々と死ぬ。
 江戸の三大幽霊といえば、四谷怪談の<お岩さん>、番長皿屋敷の<お菊さん>、
 さらに牡丹灯籠の<お露さん>。
 そして、この「累が淵」の<お累さん>が四番目の幽霊となるか。
 ちなみに、初代三遊亭圓朝が怪談噺「真景累が淵」を創作している。


 


 国芳の「開談百鬼夜行」にも累が淵のお累さんがある。

 お累さん こっちの方が怖そう。「累の開魂」の題で、開は<ぼゝ>とある。


 ついでに、江戸三大幽霊を月岡芳年作で紹介しよう。

 お岩さん  お菊さん  お露さん


 次の第五図は、やはり「開談百鬼夜行」から「かりつこつ」。
 <かりつこつ>を<亀頭立骨>とシャレているらしい。
 夜、厠に行こうとする女の前に巨大な白骨の幽霊が出現した。
 

 


 次の第七図は、「黒塚」伝承の「安達原の鬼婆」。
 妊婦(実は娘だった)の腹を裂いて胎児の生き肝を食べる。
 この図では、食べようとしてるのは男の<まら>だが、
 下に転がっているのは胎児のようだ。


 


 なお、「安達原」伝承については下記のリンクへ。

 安達原へのリンク


 ほかの画像はサムネイル形式で。

 下の左から、
 第二図 :<羅城門の鬼>。渡辺綱の鬼退治を題材にした(平家物語から)。
 第三図 :袈裟切地蔵、あるいは笑いながら人をだます笑い地蔵とも。
 第四図 :三井寺の僧侶・賴豪の怨念が鼠となり、延暦寺の経典を食い尽くす。
      *京極夏彦の「鉄鼠の檻」の題材となった。
 第六図 :伝承は不分明。この世で添い遂げられなかった男女の亡霊か。
 


 下の左から、
 第八図 ;奥州への左遷で死んだ藤原実方の想いが雀となって京に舞い戻った。
 第九図 :鞍馬山の大天狗。国芳の前作の「面馬山校情開」から。
 第十図 :「大森彦八と鬼女」、勝川春章作「百慕々語」から。
      湊川の合戦で楠木正成を討った彦七を、
      鬼女に化けた正成の怨霊が彦八を襲う。彦八は狂死する(太平記から)