歌川国貞と国芳
     ・・・歌川豊国の二大弟子


  歌川国貞

 国貞は、師匠の豊国に「末恐ろしい」と言わせた程の腕前。
 役者絵・美人画などジャンルも広く、多作で評価も高かったと。

 しかし、豊国の跡継ぎには弟弟子がなり、気に入らず、その弟子が二代目を返上すると、
 自ら<二代目豊国>を名乗り、顰蹙をかったようだ。
 国貞の弟弟子の一人、国芳が詠んだ川柳。
  「歌川を 疑わしくも名乗り出て 二世豊国 ニセ豊国」
  *今日では、襲名後の国貞を<三代豊国>とする。

 国貞は、柳亭種彦の「偐紫田舎源氏」の<挿絵>を描き、その題材に沿って艶本を描いた。
 種彦の本の挿絵と自分の艶本により、<源氏もの>の三本の艶本を仕上げた。

 下図は、艶本「艶紫娯拾余帖」(三冊)の一図。
 フォトモーションで少し読めるかも。
 主人公が水墨画を教えながら左手で、若い娘にしかけている。
 それを、<禿>の姿をした二人の女の子が覗いている。
 

 上の書入れ、右より。
 男「ゑかき花むすびより よい事をそなたにをしえてやりませう 此ふでにすミをとくと
   ふくまするやうに つばきをゆびさきにつけてそろ~と いらうてやるのじや
   なんといとうハあるまいがや」
 娘「アヽモシ およしあそバせ おそれおほうござります そしてあの子たちも見てをります
   いつそはづかしふござります」




  歌川国芳

 国芳については、「浮世絵」のページで紹介した。
 <美人画>の哥麿に比して、<武者絵>の国芳という。
 しかし、何よりも国芳は<奇想の絵師>と呼ぶのがふさわしいと、私は想っている。

 春画でも国芳は、奇想の絵師らしい発想で描く。
 下図は、「華古与見」の一図。

 外は大火事で逃げまどう人や荷物など、けたたましい喧噪のさなか。
 男は町火消しさながらの装束で女を助けに来たようだ、と思いきや、書入れを読むと。
 男「コウお花さん おらアおめへがひもじかろうとおもつてたなからきた
   べんとうをもつてきたぜ」
 女「そうかへ じつがあるねへ わちきやアそれよりかはやくなんじたいよ」
 男「フン なんするたアこうやるのか」トうしろからづぶ~~

 というわけで、火事騒ぎの中、店から弁当を持って来て、女を口説いてる図だった。
 女も荷物を運びだすより、男と<する>のを優先してる。
 やはり、国芳の奇想の絵師らしい発想による図だった。


 



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