歌川国芳
・・・奇想の絵師
都美術館「奇想の系譜展」を観て、私は歌川国芳という浮世絵師を初めて知った。
彼の絵は、<まさに奇想!>で、
この<寄せ絵>という描き方は国芳が得意としていたという。
例えば一人の顔を多数の人で作り上げる(何人いるだろう)。
上は、「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」と題された寄せ絵。
後ろ髪は黒人、髷をつかんでいる。
なお、書入れには、
「大ぜいの人がよつてたかつて とふといゝ人をこしらへた
とかく人のことハ 人にしてもらハねバ いゝ人にはならぬ」と。
*なにか教訓めいた台詞だが。
寄せ絵2 「一勇齋国芳」の名が多く使われている。
寄せ絵3 猫を題材に。
また、国芳は無類の猫好き(私も)で、猫の様々なポーズによって、
東海道五十三次をもじって<五十三疋>を描いた。
「其のまま地口 猫飼好五十三疋」と題して。地口は語呂合わせ。
それに<当て字>もある。
五十三疋 三枚揃い(全体)
五十三疋(上):日本橋を出発するが、日本橋を<二本だし(鰹節の出汁)>とする。
さて五十三疋の語呂合わせは?
猫好きの国芳は、猫を描いて当て字も作る。
当て字① :なまず
当て字② :うなぎ
私の印象は初め国芳とは<奇想の絵師だ>であったが、
しかし、改めて肉筆画を含めた国芳の作品を知ると、彼の絵は様々なジャンルにまたがり、
単に<奇想の絵師>のイメージに収めきれない人物でもあった。
国芳が描く絵の着想(アイデア)は、奇抜なものもあるが、広くて豊かなアイデアからなり、
そこに彼の絵が放つ魅力がある。
絵師国芳の評判は、<美人画>では歌麿に及ばないが、<武者絵の国芳>と言われたという。
さらに、欧米ではジャポネズリー(日本趣味)が盛んになるが、
国芳は西洋の書画に着目したようで、
そこから得た着想を彼の画風に採り入れる。
ちょうど、クリムトやゴッホが日本画に着目したように。
例えば、「相馬の古内裏」では解剖学の本を参考にし、
「忠臣蔵十一段目夜討之図」には遠近法による奥行き感を与えている。
上は、「相馬の古内裏]。
ガイコツは西洋の解剖学書を参考にしているようだ。
左は平将門の娘、瀧夜叉姫で妖術でガイコツを呼び出し肝試しで、肝の据わった者を仲間に誘う。
大宅太郎光国は誘いに乗らない。
「忠臣蔵十一段目夜討之図」 :この絵は、浮世絵風ではなく、奥行きを付けて写実に近い。
また、下の「源頼光公館土蜘作妖怪図」は、
時の将軍や水野忠邦らを風刺しているという。
水野忠邦の<天保の改革>で艶本ばかりでなく役者絵や美人画まで禁止され、
国芳もまた罰せられている。
いずれにせよ、国芳は反骨精神をも兼ね備えた人物でもあった。
「源頼光公館土蜘作妖怪図」(三枚揃い)。
頼光の土蜘蛛退治にことよせて、幕府の要人たちが妖怪たちに脅かされている様子を描く。
天保の改革への風刺画。
右端が将軍家慶、呪術を懸けられ弱っている。
その隣は主君の危機にもかかわらずそっぽを向く水野忠邦。
幕政の危機にもかかわらず、酒を飲んだり、碁を打ったり。風刺が効いている。
なお、二枚目上部の歯なしのろくろ首は、噺など禁じられた寄席の噺家のよう。
余談になるが、「百物語」の初代三遊亭圓朝は国芳に弟子入りしたことがある。
圓朝の<怪談噺>は国芳の影響からか。
「百物語」へリンク
また、民俗学ページの「九尾狐」と「安達が原」に国芳の作品を掲載した。
「九尾狐」へのリンク
「安達が原」へのリンク
ところで、国芳は絵師としてもちろん春画も描いている。
国芳春画へのリンク
また、まさに<奇想の絵師>の面目躍如。
<春画風妖怪もの>もしくは<妖怪風春画>を描く。
それが「妖怪見立陰陽画帖」で、しかも版画ではなく<肉筆画>だ。
「鑑賞」のページに掲載した。
妖怪見立陰陽画帖へのリンク