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哥麿春画
「ねがいの糸ぐち」
<序> 哥麿の悲劇について
寛政期には<艶本・枕絵>は禁止されていた。
しかし、幕府の禁令をかいくぐり、
版元が裏で顧客に販売していたようだ。
(現代でも似たことがある)
裏取引(地下出版)だから高価に売れる。
そこで職人がいっそう技巧を駆使して
より優れた絵を作成した。
「ねがひの糸ぐち」はこの時期に作られた。
しかし5年後、歌麿は「太閤五妻洛東遊観之図」で
幕政を風刺したとみなされ、
版元の蔦屋重三郎が重科料に処せられ、
歌麿は<50日の手鎖の刑>を受ける。
このために、すっかり気落ちしたのか2年後、
文化三年(1806)に没する。
歌麿、享年52歳(生1754年)。
さて、「ねがいの糸ぐち」は寛政十一年(1799)の刊行。
序文・序図と春画十二図、付文三丁からなる。
「歌満くら」になかった書入れがあり、
しかも長く、洒落や人の評判など。
意外に哥麿は洒落好きで<冗舌だった>かも。
下の画像が「序文」で右最初の行が題名で、
かなで「ねがひのいとぐち」となる。
左最終行には、
「帋(かみ)をほしがる毛物の春」とあり、紙を食べる羊、
つまり、羊年の春の版本と分かる。
*私はほとんど読めないが、読んでみたいとは思っている。
序文の中程にある、
<十二神楽 十二番(つがい) 屏風の十二枚>とは、
春画十二図を表す言葉か。
神楽=祭り事は性愛。番は男女。
十二枚は屏風に描かれた或いは貼られた春画をさすか。
面白いのは、下の「第二図」の書き入れ。
ちょっと見にくいのだが、下のようになるようだ。
男「難波や高しまハさておいて 芝のすミのへ梅がへハもふすにおよばづ
しまづのおむす 地内のひしやでも
うた丸が筆の美人と
てめへのようなうつくしいものわ 日本にひとつだよ」
女「どうしておめへのほかに いろ男がもたれるものか もつてへねへ
そんな事をすると おとこミやうりがつきらアな
いくたり男をよせても
おめへにくらべる男ハとてもねへわな
あんじなさんなよ」
男「なんぼてめへさういつても
またすいた男がかゝつたら ぢきにころぶだらう
このぼゝのあじじやア
てめへもふりそでとしまだが にあわねへ」
上の書入れ。
始めの男の台詞で、
<難波や高しま>は難波屋の<おきた>、高しまの<おひさ>を指す。
二人は当時有名な水茶屋の看板娘、
哥麿も二人の美人画を描いている(「当時三美人」など)。
台詞で<うた丸>とは哥麿自身のこと。
男は女を哥麿の美人画の二人と<日本で一つ>だと言う。
*これは哥麿の自己宣伝に違いない。
書き入れの男女の様子は、男が女の浮気性を心配し、
女がお前が一番だと安心させようとする。
男の最後の台詞で、お前はもう振袖と島田髷が似合わないと言う。
*女が<娘というより女>になっていることか。
哥麿については、
町田市の国際版画美術館で「美人画の時代」展で観た。
そこで浮世絵版画の作り方を知った。
美人画の時代へのリンク
下の画像は第一図、
書入れは成年前の若衆と若い女郎のやりとりだが、
若衆は女郎の精の強さに閉口してる。
若衆「こんやハ一てふでかんにんしてくんねへ
・・・・・もう~へいこう~
アレまた口をすつたらゑて吉がきざしてきた」
女郎「・・・・・もふ~たんのふするまでハはなしはしねへ ・・・・・
ぼぼにこんなつゆだくさんなのわめつたにあるめへ」
若衆「なんとこうしたところハ
おめへもおれもかをににあわねへりつぱなどうぐだと
けんぶつがわらうだらふ」
*<ゑて吉>はもちろん男根。
若衆の最後の台詞が笑わせる。
若い男女の<大きなゑて吉とつゆだくさんのぼぼ>が描かれ、
この絵を見る者が笑うだろうと。
哥麿もしたり。まさに春画は<笑い絵>だった。
次は十一図、浴衣姿の女と褌姿の男、
湯上がりの女を見て、男はすっかりその気になっている。
女「おめへのよふなせわしねへものハねへ
まアかみをゆつてしまうまでまちなよ」
男「いゝわさ かみをゆつてしまつたらまたしやうわさ
かうおへだしたまらをむだにするももつてへねへ
なんぼてめへのまらでも
まさかおれがぢゆふにもならねへ」
この絵では、女の右足の指が鏡台の手鏡に映っている。
何げない風景だが、印象深い。
浮世絵ではこうした小道具が描かれて効果的になっている。
そういえば、春画に入った「浮世絵詞書」のページで
紹介した第四図の書入れもおもしろい。
<洒落>を多用している。これも哥麿春画の特徴の一つらしい。
画像をサムネイル形式に入れたので、
詞書(書入れ)をここに追加する。
女房「アヽいゝいゝいゝ」
亭主「モウ~~~~
いゝの候の権八のといふやうなうすなまけたことじやアねへ
やせた女よりア
おめへのやうなどつさりとしりの大きなのがおらアすきだ
もつと大ごしにすかり~とやらかしたまへ
大ごしの冨八はどふだ
ぢぐちはよつぽどあがつたが
ぼぼももふちつとうへへあげたい」
権八は白井権八、幡随院長兵衛の<居候>だったと。
<いゝの候>が<気持ちいゝ>の洒落。
冨八も当時の著名人か、<大ごし>が洒落。<ぢぐち>は地口=洒落。
二人は湯上がり後の浴衣姿か。
いろいろ書入れを読むとおもしろい。
しかし。江戸かな文字は片手間では覚えられない。
漢字の省略などいろいろある。
追々、覚えなくては本当の楽しみが分からないと。
他の画像はサムネイル形式で。
サムネイル①
①左から、序図~三図~四図~五図~六図。
序図には書入れがない。
見つめ合う振袖新造(花魁の付人)と若衆。
若衆の左手が新造の着物の裾に入って、
「ねがいの糸ぐち」(情事の始まり)を表す。
三図 :書入れから、二人とも結婚していて浮気の現場。
女は亭主の下手なことを愚痴り、
男(粂さん)はじきに女房を入れかえてやるよと。
男は本気かな?
四図 :哥麿の洒落。上に書入れを載せておいた。
五図 :ここでも男の洒落。前図の夫婦より年季が入っている。
亭主「こうぐつとすべらせの ぐつときをもませ印で
すこぬら~ものとしておいて
すこしなぶりのたのしみ山ハどふだ」
女房「アレサ わるくしやれる」
*印、山をつけて洒落言葉にしている。
六図 :遊女とその間夫の図。
吉原の遊女は、客ではない真心を込めた間夫を持ちたい。
遊女「・・かねのある通人のまらより
ぬしのやふないさみのまらがいつそおいしうおつさアな
・・ままならぬ浮世とやらで
いつそじれつとうおつすヨウ」
サムネイル②
②左から、七図~八図~九図~十図~十二図。
七図 :恋人同士の束の間の逢瀬の図。
男はすぐ始めるより、
前戯や女の<ぼぼ>の良さを楽しんでいる。
女は「いゝかげんにむだをいつて はやくいれてくんねへ
またじやまがいるによ」と。
八図 :男は女房持ちで根っからの遊び人か。
女はこの男のために嫁に行きそびれたと。
しかし、男は<ぼぼ>の品評に忙しい。
「・・毛のねへぼぼはみにくし
するぼぼはちいさいほどがよし
くじるにはひろいのがいいぞ
見ぼぼはけぼぼ しぼぼはこぼぼ
さぐりぼぼは大ぼぼと云うたがありやす・・」
*<うた>は唄のことで、そんな唄があると云う。
なお、この品評は、哥麿自身の好みかも。
九図 :背景から待合茶屋の蒲団部屋か。
この男も洒落好きで、女の方は焦れている。
男の下の書入れ
「・・かうかいこんで ぐつとしめこのうさぎぼぼ
十五やおつきのまんげつを
けつのほうかからてにあまるへのこをおしこみの
すかり~とうさぎのうすをつくようふに
やらかしませう」
*太字<占め子の兎>とは<兎を締める>から、
<しめた>、思い通りになったという洒落。
十五夜の満月と兎の連想から、兎の<うすをつく>、
<臼(ぼぼ)をつく杵(まら)>。
十図 :湯上がりの若夫婦らしい。
男は女の<良さ>をほめちぎっている。
「おめへのよふなうつくしい やせもせづふとりもせづ
そのうへ此やふにぼぼがよくて させやふがでふづで
じんばりで よくよがる女は 此日本にたつたひとりだ
大極上開 たこぼぼのうまにぼぼでたまらぬ~ ・・」
*太字<じんばり>は淫乱なほど色事が好き。
<大極上開>は極上の貝(ぼぼ)。
<たこぼぼのうまにぼぼ>は蛸の味の良い旨煮ように、
吸いついてくるぼぼ。
十二図 :二人は振袖芸者と馴染み客のようで、
書入れ見るとどうも違うようだ。
女「きのいいという事をやふ~此ごろしつたよ
そしてはづかしいのもすこしこらへよくなつてきた」
男「これほどいいきみをする事をしらねへで
はじめてのばんにはいたいからいやだのよそふのと
ばちのあたつた事よくいつたの」
女「おめへほんにわたしを女房にもつてくんなさるきか」
続く男の言葉から男が女房にする気がない、女は嘘だと分かる。