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    哥麿



  「歌満くら」
 横大判錦絵12枚の組物で、序文1丁、付文2丁全12図の折帖の蔦屋版。

 作品が世界的に有名になるのは、フランスのエドモンド・ゴンクールによる。
  「歌まくらは、調和のとれた非常にすばらしい作品で
  ヨーロッパの版画の中には、それに匹敵するものはない」と。
 これ以後、ドガロートレックロダンはじめヨーロッパの芸術家たちが、
 浮世絵といえば、まず<春画のウタマロ>とむすびつける。


 第一図海女と河童」(通称)
 二匹の河童に、まさに犯されようとする女を岩場から見る海女。
 眺めている女の表情と姿態が艶めかしい。

 


 第一図部分、海女の姿態
 やわ肌、豊かな乳房。顔の頸すじをひねり、顔に手を添えて、
 海底の河童と女の動きを覗く。
 腰に紅い布を覆った裾と立てた膝の足元の隙間には、
 薄い陰毛が見え、その奥まで想像させる。
 また、海女の表情は、ほんのりと艶めかしく、
 海底の様子を眺めながら、
 <自分が犯される姿>を思い浮かべているようだ。

 



 第十図は哥麿の最も有名な春画。
 「座敷の男女」(仮称)
 <粋な着物姿>の二人は、
 通い慣れた茶屋の二階座敷で情交を楽しんでいるのか。

 女が男の頬に手を添え、唇を吸い、片足を男の腰にかけ、
 その白い艶っぽい太ももと左足が、
 薄墨色の男の着物から透けてみえる。
 乱れた紅色の長襦袢の裾から、
 ふっくらした白いお尻のわれめがかすかに。
 女は下半身を浮かせ、からだを男にゆだねている。
 男の右目が女の鬢の下から微かに覗いている、
 何を見つめるのか。

 春画では男女の赤裸裸な姿態を描くものが多いが、
 哥麿は、この図では、
 男と女の顔も見えず、交合する様子も描かない
 それでも、春画中の<傑作>と賞されている。
 


 男のもつ扇には、狂歌が書かれている。
 「蛤にはしをしかつとはさまれて 鴫(しぎ)たちかぬる秋の夕くれ」と。
 この狂歌、蛤は<ぼぼ>で、はし=嘴で<まら>となる。
 鴫=男だから、女との情交にすっかり男はまっている。
 ちなみに、本歌は有名。
  西行「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」
 春画だけど、鑑賞する江戸人の教養の高さが分かる。


 第十二図はなんと異人の男女を描いている。
 長崎出島のオランダ商館から察するにオランダ人か。
 哥麿もあるいは江戸に来た異人を見たのかもしれない。
 哥麿も想像力旺盛だ。
 この図も春画に多い、奇妙なあり得ない体位。
 顔と性器を露わに観せる。

 



 下の画像は第二図
 どうやら襟首をつかんで、若衆の浮気をなじっているようだ。
 女は亭主持ちの女将さんだろうか?
 さあ始めようという時に、若衆の持っていた恋文を発見!
 「歌満くら」には詞書(書入れ)がないので、画題が分からない。
 鑑賞者の鑑賞眼・想像に任せ、楽しませる趣向か。
 あるいは江戸人なら観て分かったのか。

 



 次は第七図。背景を見ると、縁側が見え障子を開けている。
 昼日中、外から見えてしまうと、女は袂で顔を隠して恥ずかしそうだ。
 女は新妻なのだろうか、亭主の様子が分からないので、この画題も謎。
 あるいは、後家さんが間男と情事を楽しんでいる、という説。
 この図も顔を描かない、哥麿らしい。


 


 残りの画像は、サムネイル形式に。それぞれ画題を想像してみるのも一興。

 サムネイルへのリンク

 この「歌満くら」と「ねがひの糸ぐち」、それに「絵本小町引」が哥麿春画としてある。
 詞書が多い「ねがいの糸ぐち」を観てみよう。

 「ねがいの糸ぐち」へのリンク



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