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  世界文化遺産登録
    ・・2021・7・27登録


 <朝日記事
 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は
 27日、国の特別史跡「三内丸山遺跡」(青森市)をはじめとした
 「北海道・北東北の縄文遺跡群」を世界文化遺産に登録することを決めた。
 国内の文化遺産は20件目で、紀元前の遺跡は初めて。
 自然遺産と合わせると25件になる。

 登録されたのは、
 北海道と青森、岩手、秋田の3県に点在する17遺跡。
 三内丸山遺跡のほかに、
 ストーンサークルを主体とした「大湯環状列石」(秋田県鹿角市)や、
 日本最古の土器片が見つかった大平山元(おおだいやまもと)遺跡(青森県外ケ浜町)、
 貝塚と集落跡の「北黄金(きたこがね)貝塚」(北海道伊達市)など、
 1万年以上続いた縄文時代の様々な年代の遺跡がある。

 縄文は日本独自の時代区分。
 「農耕・牧畜」と定住がほぼ同時に始まった世界の他地域とは異なり、
 縄文の人々は獣や魚、果物などをとって食べる
 「狩猟・採集・漁労」の生活をしながら、1カ所に定住するようになった。
 土偶や墓が見つかるなど、複雑で豊かな精神文化も発展した。

 ユネスコの諮問機関が5月、
 「約1万5千年前にさかのぼる、
  農耕以前の定住生活のあり方や複雑な精神文化を示す」と
 17遺跡すべての価値を認め、世界遺産に登録するよう勧告していた。


 <天声人語(抜粋)
 青森など4道県の縄文遺跡17カ所が
 ユネスコの世界文化遺産に登録された。
 その一つ、八戸市の是川遺跡
 大正時代に発掘が始まったという遺跡界の老舗。
 「東京の大森貝塚、青森の是川遺跡」とも称された。
 是川縄文館に入ると、
 漆塗りの腕輪や朱色の耳飾りなどが目にとまった。
 楽器らしき出土品は「縄文琴」と呼ばれている。
 縄文人たちがおしゃれで、
 色や音の感覚にも富んでいたことに驚く。

 今回の登録に先立ち、「関連資産」に格下げされた遺跡が二つあった。
 八戸の長七谷地(ちょうしちやち)貝塚
 工場に囲まれているという理由。
 北海道の鷲ノ木遺跡は真下に作られたトンネルがマイナス材料とされた。

 4道県が世界遺産をめざすことで合意したのは2007年。
 手を携えて文化庁に国内推薦を求めたが、幾度も落選の憂き目に。
 「その間にユネスコの審査ハードルが高くなりました」と
 是川縄文館の小久保拓也学芸員(45)。

 遺跡の価値に加え、周囲の景観まで重視されるようになったという。
 長七谷地には、復元住居も展示館もない。
 それでも東北では数少ない縄文早期の貝塚で、
 漁労生活を知るうえで重要だという。
 このごろ人気のB級グルメにあやかり、B級世界遺産と呼んでみよう。


 ところで、同じ天声人語の26日付け記事によると、
 世界遺産に登録されてもその後抹消されてしまうことがある。
 ビートルズの故郷、イギリス・リバプールは、
 その<街並み>が登録されていたが、
 先週、ユネスコの委員会から登録抹消を言い渡されたという。
 都市の再開発が進み、ガラス張りの現代的なビルができるなど、
 遺産としての価値が損なわれているという理由らしい。
 「リバプールにはビートルズが曲名にした
 <ペニー・レイン>という小さな通りがあり
  ・・高いビルなど建てぬよう」と。



 さて、登録された17遺跡とは、またどんな特徴があるのだろう。
 また、縄文時代は世界史上も独特であるという。
 紀元前約1万3000年以前の旧石器時代末に、
 日本列島に細石器文化が広がっていた。
 世界史上では、北京原人が活躍し、ラスコー洞窟の壁画が描かれていた。
 そうした中で、日本独特の時代区分として縄文時代が始まる。


 <登録17遺跡と関連資産

  年表1
  
  *)BCEとは、<西暦紀元前>の意味。

 縄文草創期 約1万3000年~
  土器や弓矢の使用が始まり、定住化が進み、ムラが出現する。
   *トルコで最古の神殿が造られる(ギョベグリ・テペ)
  ①大平山元遺跡
    ステージⅠa 13,000BCE
   日本最古級の縄文土器片(無文土器
   *)付着物の炭素測定年代から約1万3000年と認められる。
   *)あるいは、最も古い土器は約Ⅰ万6500~1万5000年前
    ともいう。

  無文土器
  


 縄文早期 約9000年~
  気候の温暖化が進み、海水面が上昇する(縄文海進)。
  貝塚が出現する。
   *長江流域で水稲耕作始まる。
   *メソポタミアで農耕(ライ麦)始まる。

  ②垣ノ島遺跡
   ステージⅠb 5,000BCE
   なお、史跡の年代は7,000BCE~1,000BCEまで
   文様が押型文、貝殻文、縄文と変遷。尖底土器が多くなる。
   <興味深いこと>
   墓には子どもの足を押しつけた足形付土版が副葬されている。
   *母親は、死亡していた子どもの足形付土版を作っていて、
    その土版と一緒に自分が埋葬されることを望んだようだという。
    この地域特有の精神文化と考えられる。

  足形付土版
  

  *関連資産として長七谷地貝塚
    ステージⅠb 6,000BCE
   赤御堂式土器が出土。
   天声人語によると、ここには復元住居も展示館もない
   それでも東北では数少ない縄文早期の貝塚という。


  年表2
  

 縄文前期 約5000年~
  集落の数が増え、地域を代表するような拠点集落が現れる。
  の利用技術の発達。
  平底で多くの種類の縄文をつけた円筒下層式土器が作られる。
  円筒下層式土器(三内丸山遺跡)
   *中国文明の始まり
   *メソポタミア文明の始まり
  ③北黄金貝塚 ステージⅡa 5,000BCE~3,500BCE
   貝塚と墓域が一体となった祭祀場が形成され、
   シカの頭骨を配置した動物儀礼の痕跡が確認された。

  ④田小屋野貝塚 ステージⅡa 4,000BCE~3,000BCE 
    史跡年代 4,000BCE~2,000BCE
   <興味深いこと>
   土坑墓からは出産歴のある女性の埋葬人骨が発見された。
   ベンケイガイ製の貝輪の作成、北海道産黒曜石が出土。
   海峡を越えた交易が行われていた。

  ⑤二ツ森貝塚 ステージⅡa 3,500BCE~3,000BCE 
    史跡年代 3,500BCE~2,000BCE
   <興味深いこと>
   精巧に加工された鹿角製櫛は当時の高い精神性と加工技術を示している。

   


 縄文中期 約3000年~
  大規模な拠点集落が発達する。
  ヒスイや黒曜石等の交易が盛んになる。
  粘土紐で装飾された円筒上層式土器が盛んに作られる。
   円筒上層式土器(御所野遺跡)
   *インダス文明の始まり
   *クフ王のピラミッド建設
  ⑥大船遺跡 ステージⅡb 2,500BCE~2,000BCE
    史跡年代 3,500BCE~2,000BCE
   居住地の竪穴建物跡(100以上ある)は、
   床を深く掘り込んだ大型のものが多く、
   深さ2メートルを超えるものもある。

  ⑦三内丸山遺跡 ステージⅡb 3,000BCE~2,200BCE 
    史跡年代 3,900BCE~2,200BCE
   <縄文の旅>本文へ

  ⑧御所野遺跡 ステージⅡb 2,500BCE~2,000BCE
   集落の中央には、配石遺構や墓などの墓域が造られ、
   その周囲には竪穴建物、掘立柱建物、祭祀に伴う盛土などが分布し、
   さらにその外側の東西にも竪穴建物が密集する集落構造になっている。


  年表3
  

 縄文後期 約2000年~
  中期の大規模な拠点集落は減少し、集落の拡散化、分散化が進む。
  環状列石が出現する。
  土器の厚さが薄くなり、線と縄文による模様が見られるようになる。
  入江式土器(入江貝塚)
   *ハンムラビ法典ができる。
   *殷王朝成立
   *ツタンカーメン王即位

  ⑨入江貝塚 ステージⅢa 1,800BCE
    史跡年代(入江・高砂貝塚)3,500BCE~800BCE
   <興味深いこと>
   墓域から筋萎縮症の成人男性の人骨が検出されており、
   長期にわたり周囲の人々の手厚い介護を受けていたようだ。

  ⑩大湯環状列石 ステージⅢa 2,000BCE~1,500BCE
   <縄文の旅>本文へ

  土版の表と裏。刺突された穴の数で人体を表す?
  左側(表)の口は一つ、目は二つ。六つまであるらしい。
  


  ⑪伊勢堂岱遺跡 ステージⅢa 2,000BCE~1,700BCE
   4つの環状列石を主体に、配石遺構など。
   環状列石が集中する段丘端部からは、
   白神山地をはじめ遠方の山並みを望むことができる。

  唯一完全に復元された板状土偶
  

  ⑫小牧野遺跡 ステージⅢa 2,000BCE
   環状列石が特徴。。
   中央帯と内帯、外帯と三重の環を描くように配置され、
   その周りを囲むように直径約4メートルの環状配石や
   一部四重となる列石などが配置されており、
   全体では直径55メートルになるという。

  関連資産として鷲ノ木遺跡 ステージⅢa 2,000BCE
   北海道内最大規模の環状列石。
   遺跡全体が江戸時代に噴火した駒ヶ岳の火山灰に
   厚く覆われていたため、保存状態はきわめて良好だった。


 縄文晩期 約1000年~
  遮光器土偶や土面など祭祀の道具が多く作られ、装身具類も多様となる。
  また、精緻に飾られた亀ヶ岡式土器が作られる。
  北部九州に稲作が伝来する。
   *春秋・戦国時代

  ⑬高砂貝塚 ステージⅢb 1,000BCE
    史跡年代(入江・高砂貝塚)3,500BCE~800BCE
   貝塚と墓域からなる。
   墓域の土坑墓は、石製品などの副葬品を伴い、
   赤色の顔料(ベンガラ)が散布されている。
   また、抜歯の痕跡が認められる人骨や
   胎児骨を伴う妊産婦の墓もある。

  ⑭亀ヶ岡石器時代遺跡 ステージⅢb 1,000BCE~400BCE
   つがる市に所在し、岩木川沿岸の標高7~18メートルの丘陵上にある。
   海進期に形成された内湾である古十三湖(こ・じゅうさんこ)に面している。
   <縄文の旅>本文(カルコ)へ

  遺跡の広場、<しゃこちゃん
  


  ⑮是川石器時代遺跡 ステージⅢb 1,000BCE~400BCE
    史跡年代 4,000BCE~400BCE
   沢地ではトチのアク抜きをする水さらし場もある。
   <縄文の旅>本文(是川縄文館)へ

  ⑯キウス周堤墓群 ステージⅢb 1,200BCE
   北海道千歳市、石狩低地帯に面する
   標高15~21メートルの緩やかな斜面に立地します。

   <周堤墓
   地面に円形に竪穴を掘り、掘り上げた土を周囲に環状に積み上げ、
   大規模なドーナツ状の周堤を作り、
   その中に複数の墓を配置した大規模な集団墓
   9基あり、最大のものは外径83メートル、
   周堤上面から竪穴底面までの高低差は4.7メートル、
   積み上げられた土の量は推計で約3,000立方メートル近くに達する。
   周堤墓内の土坑墓には赤色の顔料(ベンガラ)が撒かれるものが多く、
   また、墓標と思われる立石が埋められたものもある。

  ⑰大森勝山遺跡 ステージⅢb 1,000BCE
   岩木山北東麓の標高143~145メートルの舌状丘陵上に立地します。
   遺跡の南西側には単独峰の岩木山の全景を眺望できる。
   冬至に太陽が岩木山山頂へと沈む地点に立地しており、
   環状列石と岩木山を結ぶ直線上に大型竪穴建物跡が1棟ある。
   ただし、明確な墓域が確認されない(別の場所か)。


 弥生時代 約400年~
  吉野ヶ里遺跡など。
   *秦の中国統一
   *コロッセウム建設



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