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縄文の旅1
・・・青森・秋田・岩手の縄文文化へ
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是川縄文館 はっち(八戸ポータルミュージアム)
縄文の旅2へのリンク :二日目、三内丸山遺跡へ
*文章だけ、画像掲載予定です。
縄文の旅3へのリンク :三日目、大湯環状列石へ
*文章だけ、画像掲載予定です。
世界文化遺産登録 :7月27日、17遺跡が登録された。
出発
今年3月、能登半島の海沿いを一周する旅行
(<能登の旅>として掲載)をし、
今回は、同じ大手旅行社の企画した
三内丸山遺跡などの二泊旅行(<縄文の旅>)に参加した。
この企画に乗ったきっかけは、ずっと以前私自身、
八ヶ岳山麓に赴いたときに尖石(縄文考古資料館か?)で
火焰型土器(レプリカ?)を見たことがあって、
その造形の不思議な魅力が蘇ったこと。
そして、岡本太郎の生涯の記録を見ていると、
彼が東博で火焰型土器を見て
「なんだ、これは!」と衝撃を受け、
やがて彼の縄文時代の見方をきっかけとして
縄文土器が美術作品と見られることになったと知ったことだった。
私の記憶でも、
装飾豊かな土器を単なる考古学的な遺物とは
見ていなかったのだが。
岡本太郎と縄文土器へのリンク
縄文人のゲノム解析へのリンク
注)最近知ったのは、すでにゲノムが解読されていたこと。
縄文人とは? 別の視点から。
縄文時代について私の知識はほとんどなく、
三内丸山遺跡がかつてニュースになったこと、
そして、最近では、北海道・東北の縄文遺跡が
<世界文化遺産>になることぐらいで、
それでも<一見する価値あり>と思い立った。
この旅行では、
世界文化遺産に登録予定の4つの遺跡の遺構・出土品などが見られる。
是川石器時代遺跡(縄文晩期):「縄文館」で国宝の<合掌土偶>
三内丸山遺跡(同中期):広大な集落趾、特別史跡
亀ヶ岡石器時代遺跡(同・晩期):右脚を欠いた<遮光器土偶>
大湯環状列石(同・後期):特別史跡
以上の4つの遺跡。上記が正式名称だが、旅行記では略称で記す。
また、( )内の縄文各時期は、その遺跡の<最盛期>にあたる。
さて、コロナ禍の中、しかも<緊急事態宣言>のさなか、
旅行自粛することなく出かけるのはどうかとも思ったが、
旅行社がPCR検査で陰性ならば参加OKという。
幸い私も同居人も陰性となって、<縄文の旅>を実行した。
第一日目 6月15日(火)
集合時間:10時、集合場所:JR東京駅 東北新幹線乗車口前。
このために、町田市居住の私たちはJR成瀬駅を8時02分に出発、
(新幹線内で昼食のため東京駅で購入する余裕が必要)
集合時間に充分間に合って新幹線ホームで
添乗員・相澤満弘さんに迎えられた。
(相澤さんによる検温あり)
10時20分発の東北新幹線はやぶさ17号に乗り、
一路八戸駅へ。
新幹線内は<能登の旅>の北陸新幹線と同様、
前の座席との間隔が広く、パソコンも使える。
私は今回タブレットを持参し、キンドル本を読んだり、
JR東日本のWi-Fiで今度の旅の遺跡などを検索した。
13時04分、八戸駅到着。
アルコール消毒を済ませて迎えの観光バスに乗り、指定された座席に座る。
バスガイド(柿木真由美)さんと運転手さんの紹介があり、
最初の見学地・「是川縄文館」に向かう。
一行は13名(確か<能登の旅>でも13名だった)、
3組のカップルと男1,女6の13名。
バスガイドさんは若く元気溌剌という印象だ。
是川縄文館
是川縄文館には、国宝の<合掌土偶>がある。
さっそく国宝と出会えるので良い感じの旅行になりそうだ。
縄文館に到着。是川遺跡は三つの遺跡群からなり、
さらに新井田川の対岸に「風張1遺跡」がある。
実は、合掌土偶はこの<風張1遺跡>から出土した。
私は縄文館でざっと縄文時代の知識を仕入れることにした。
館内を見て回り、土偶や土器、村落や
縄文人の生活(狩猟採集のための道具や獲物・果実など).
下の写真、風張1遺跡の村落の様子。住居や掘立倉庫などか。
特にここでは<うるし>塗りの土器に注目した。
展示のテーマとして「縄文の美(うるし)」、
鮮やかな漆塗りの<漆器>があり、
縄文人は単なる<原始人>ではないことが分かる。
「漆の使用ははるか縄文時代にさかのぼるんだなぁ。
そして、漆が保存に適していることを縄文人は知っていたんだ」と、
私より縄文人の方が賢いと思った。
縄文土器には、縄目紋だけの実用的な土器とともに、
火焰型土器など装飾豊かな土器(私はこれを<装飾土器>と呼ぶ)があり、
縄文人は装飾土器の制作によって何んらかの<願いを込めた>のではないかと、
私は想像している。
<縄文の美>というが、
たんに彼らの<美意識>による制作ではないと思うのだが。
次いで、珍しい<頬杖土偶>を見た。
土偶は縄文中期までは<板状土偶>が多いが、
やがて立体的な造形により土偶像となった。
普通の土偶像は立位が多いが、
この頬杖をついた姿は他では見かけなかった。
頬杖土偶は何をしているのか、あるいは考えているのか、
私はロダンの「考える人」を想い出した。
また、展示されているほかの土偶を見ているうちに、
土偶の顔の表情(笑っている、口を結んでいるなど)が、
岡本太郎の造型する顔の表情に似ていることに気づいた。
彼は、ひょっとすると、土偶の表情に魅せられたか。
いよいよ2階の奥の展示室で
国宝<合掌土偶>を見ることになった。
風張1遺跡で発見されたとき、
この土偶は<15号竪穴住居跡>で
ほぼ完全な姿(片足だけ離れた場所)で見つかり、
是川遺跡ではこの土偶1点だけが国宝に指定された。
下の写真、出土した状態。住居跡で見つかるのも珍しいと。
土偶がほぼ完全な姿で出土することは珍しく、
ほとんどがバラバラになっているという。
それだけ、この合掌土偶は大切に保管されていて、
縄文人の信仰の証かもしれない。
注)風張1遺跡は新井田(にいだ)川を挟んで
是川遺跡の対岸にあり、住人が風張から是川に移住してきたという。
国宝「合掌土偶」。安置されている場所が暗いなぁ。
さて、是川縄文館の見学も終った。
ところで、バスの車中で聞いたのだが、
縄文館には縄文人の<指紋のついた土器>があったという。
館内の順路をたどって全て見たと思っていたのだが、
つい私は見落としたのかも。
あるいは見たが指紋があるとは気づかなかったか。
ただ肉眼ではかすかに見えるぐらいというので、「まぁ、いいか」と。
ホテルへ向かう。
途中、バスガイドさんの話を聞きながら、
八戸ベイブリッジ(横浜にちなんだ?)近くを通り、
館鼻漁港の<朝市>を車窓から見る。
<能登の旅>でも輪島朝市を見学したが、
ここの朝市は日曜日だけ、それでも大賑わいするという。
八戸グランドホテルに到着。
バスを降りて、ホテル入口でアルコール消毒と検温器で体温を測り
フロント前に集合、その後、通常は1階でソファーに座りながら
ホテル側の案内や添乗員の説明を聞き、部屋の鍵を渡されるのだが、
今度の旅行では鍵を渡された後、いわば<流れ解散>となった。
次のホテルでも同様だった。
(もちろん、バス内で丁寧な添乗員の説明を受けている)
ともかく、無事ホテルに着き、
ホテルの部屋(917号)に入った。
部屋に入ってホテルの案内図を見て、
私が最初の捜すのは<喫煙場所>で、それは1階にあった。
次いで、見るとこのホテルには<大浴場>がない!
<グランド>ホテルとは<大きいビジネス>ホテルだったのだ。
大手旅行社のくせにビジネスホテルとは!と思わず溜息が出た。
添乗員の説明でも、夕食は別のホテルでという訳が、ここで分かった。
仕方ない、旅の疲れを癒やすためゆっくりお湯に浸ることは諦めた。
注)八戸中心街にあるので温泉はない。
<シティホテル>といい、そういえば、下の何階かに結婚式場があり、
部屋の窓から下を見ると、庭のような場所があって鳥居が見えた。
はっち
ホテル到着が早いので、添乗員の案内で、
ホテル近くの「八戸ポータルミュージアムはっち」に行くことになった。
ここは、八戸観光を紹介する施設で、それなりに面白い所だ。
入口で伝統工芸品の「八幡馬」に出迎えられ、
はっちのガイドさんの案内で1階~3階を見て回った。
特に目を引いたのは<カラクリ時計>で、
メロディー付の時報に合わせて動く。
また、1階には大きな八幡馬のカラクリ時計もあり、
中心の一番大きな八幡馬が口をガタガタと開け閉め、
首を左右に振り振り、大きな音を立てて動く。
下の写真、1階の壁にある「八幡馬」のカラクリ時計。
八戸三社祭の<綺麗な山車>もあった。
そして、2階・3階にはテーブルと椅子がいくつか置かれ、
高校生らしい子たちが何か勉強してる。
(学校の宿題なのか、ここの資料を調べているのか)
観光客ばかりでなく、地元の人々も利用する施設として、
この<はっち>があった。
夕食はホテル外の料理店「日本料理太一」で、
八戸の海鮮料理、お造りやホッケ、アオサ茶漬け、
そして珍しいホヤを食べた。
この店には<お品書き>はなかったが、
配膳の下に「鯛考」という鯛料理や鯛の異名を記した敷紙があった。
食後、簡単な自己紹介があり、
私はこの旅行社で3月に<能登の旅>をし、
楽しめたので今回も期待していると述べた。
(ホテルがビジネスホテルだったので10点マイナスなのだが)
夕食後部屋の戻り、今夜はシャワーを浴びるだけにした。
ホテルの洗面所兼トイレ兼浴室で、
ほとんどシャワーを使うことのない私は、
座る腰掛けもないバスで不自由の思いから、
「やっぱり10点マイナスだ」と呟いた。
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