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縄文の旅3
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大湯環状列石 わんこそば
岩手県立博物館 帰途
第三日目 6月17日(木)
湯瀬ホテル
朝食を8時、本館2階「吉祥」で和食ビュッフェとなる。
8時50分にロビー集合、配車後直接バスに乗る。
ある人が忘れ物をしたと添乗員に告げて取りに行く。
さて、バスが発車してしばらくすると、
わが同行者が杖を部屋に忘れたことに気づく。
私が後ろを向いたバスガイドさんに合図して忘れ物があると告げ、
添乗員が来て同行者から泊まった部屋の入り口付近と聴き、
ホテルに電話連絡、後日自宅に宅配されることになった。
湯瀬ホテルの宅配はちょっと不便で、
旅行土産を宅配にすると到着が遅くなるというので、
土産物を宅配にしなかった。
(<能登の旅>の加賀屋は宅配にした)
帰宅後、二・三日ぐらいで杖が無事戻る。
大湯環状列石
秋田にはストーンサークルが多く見つかっているが、
大湯のストーンサークルが一番有名、
「大湯環状列石」として特別史跡となっている。
「大湯ストーンサークル館」に到着。
サークル館のガイドさんによる館内の展示品の説明を受けて、
ストーンサークルについておおよその予備知識を仕入れた。
次いで、ガイドさんの案内で、二つの遺跡を回ることになった(車道を挟んでいる)。
初めに、車道を越えて「野中堂環状列石」。
列石の長い直径は44m、
川原石(近くに大湯川がある)をさまざまに組み合わせて配石し、
内と外に二重の環状となっている。
再び車道を越えて、「万座環状列石」へ。
ここは野中堂環状列石よりも一回り大きく、直径52mある。
周囲には復元された掘立柱建物が立ち並んでいる。
そして、環状列石の全体をちょっと上から眺められるように展望台が作られていた。
何故、このような環状列石作られたのか。
大湯環状列石遺跡のさまざまな出土品から推測して、
集落の人々の配石墓(集団慕)として、
また「日時計状組石」も存在することから、
天文に関するか、あるいは<祭祀の場>であったのか、という。
このストーンサークルも縄文人の精神生活の表現として感慨深いものがある。
帰路に、ガイドさんがこの木の実は食べられるというので、
小さな赤い実を付けたウグイスカグラの木から実をとって口に含んだ。
ちょっと甘いかった(サクランボの実ほどではないが)。
秋田県から岩手県へ。
盛岡を目指す長距離移動のため、途中サービスエリアで休憩、
ここでは岩手山がきれいに見える。
岩手山は見る場所によっていろいろな姿に変わるようだ。
わんこそば
盛岡市内に入り、
石川啄木が結婚して2ヶ月余り住んだという家などを車窓から見る。
12時半頃に昼食の「初駒本店」(わんこそばの老舗)に着いた。
盛岡名物<わんこそば>はずっと以前になるが、
東北めぐりの家族旅行、恐山(口寄せのイタコなど)や
いくつかの温泉を回った旅行の際に、一度食べた記憶がある。
(何杯食べたかは覚えていない)
バスガイドさんは3回目に124杯食べましたと。
気負って食べると何杯食べられるか分からないが、
お椀に10本ぐらいのそばが汁と一緒に入っているだけで
うまいものじゃない(もちろん、付け合わせの料理もあるけれど)。
私はそれでも60杯食べて終わりにした。
その記念に<絵馬>をもらう。
後で聞いたところによると、添乗員の相澤さんは120杯だって。
相澤さんは普段物静かで几帳面、冗談を言うこともない人だが、
この時は、近くに座っていた人から歓声が上がり、
それに応えて笑顔になっていた。
相澤さんはイケメンだし、添乗員として人気あるらしく
リピーター(わが同行者もその一人)が多いという。
食後、向かいにある盛岡八幡宮に行く。
私は一服しながら、階段上の本殿に行かず、
下の社などを見たりして写真に撮った。
博物館
旅の最後の見学は「岩手県立博物館」だ。
縄文時代の展示は「考古展示」エリアを中心に学芸員さんの案内と説明を受ける。
大型土偶・頭部やいろいろな遮光器土偶を見る。
学芸員さんによると、
国宝と重要文化財の違いは、国宝の指定ははっきりと出土状況が分かるものという。
<合掌土偶>が国宝指定となった理由が分かる。
大型土偶・頭部は重要文化財(重文)となっていた。
この土偶は盛岡市の「萪(しだ)内遺跡」から出土、高さ23cm、
頭部だけでしかも仮面をかぶっている。しかもいかつい顔をしている。
しかし、学芸員さんの話ではこの土偶も<女性>という。
聞き間違えたのかと思い、
後日、私は博物館へ問い合わせのメールを出した。
すると、すぐ学芸員さんから回答があり、
「形や模様から八戸市風張遺跡の“先祖”と考えられることから、
大型土偶も女性の可能性が高いと申し上げました」と。
風張遺跡の土偶の<先祖>だったのか、私は納得した。
また、私の別の問い、
「縄文時代は母系社会ですか?
土偶も女性に特別の位置づけをしているようですから」について、
回答は
「母系社会かどうかも証拠がないのでわかりませんが、
母系社会であっても女性の力が強いとは限りません
(母方のおじさんの力が強いそうです)。
残念ながら縄文時代については確かにお答えできることはあまりに少ないです」と。
この学芸員さんの回答で、<母系社会であっても・・・母方のおじさんの力が強い>
ことに興味を持ち、私はネットで調べたが、よくわからない。
資料や参考文献があるのだろうか。
大型土偶・頭部も女性土偶とすれば、
縄文人は<女性形土偶>によって何を求めていたのだろうか?
ごく希に、北海道・千歳市のウサクマイ遺跡から出土した<男性土偶>などあるが、
ほとんどは女性土偶だ。
地母神信仰や精霊信仰、
最近では人間ではなく植物の象徴という説もあるようだ。
私は、女性の<性>に<命の宿り>を見つめたことが起源ではないかと思う。
生命の誕生や存続(子孫)、精霊(命=霊)の存在へと。
さらに、それが大地から生まれ出るものへの信仰となったのではないか。
縄文人の思考・信仰は、汲めどもきない<命の神秘>を見つめていたのではないか。
博物館の2階ホールからは窓ガラス越しに岩手山を眺望できる。
帰途
博物館から盛岡駅へ、15時20分着、ここでバスを降り、
バスガイドさんや運転手さんに見送られて駅構内に入る。
バスガイドの柿木真由美さんは、盛岡出身で多少早口で微かな<訛り>もあるが、
良く下調べもできてるようで、
私が「物知りですね」と言うと「そんなことありません」と笑顔で答える。
若いが<ベテランバスガイド>のようで、
観光以外のことにもいろいろと<おしゃべり>してくれた。
例えば、バスが大谷翔平の故郷近くを通ると、大谷翔平のことを話して、
そっくりなお兄さんがいて、地元の社会人野球の選手ですとか。
バスガイドさんも大の大谷翔平フアンのようだ。
盛岡駅15時50分発(東北新幹線はやぶさ32号)で一路東京駅に向かう。
18時04分東京駅に到着。
私と同居人は、夕飯を東京駅で買うことにしたが、
行きで買った場所と違い、品数がなく結局、二人とも同じ焼肉弁当となった。
同居人は弁当のニンニクの匂いが強く、
帰りの車中、他の乗客に嫌がられるかもしれないと。
(私はどうも嗅覚が良くないようで、全然気にならなかった)
ともかく、東京駅から京浜東北線に乗り込む。
夕刻の混雑時だから座れないかと覚悟していたが、
この電車は終点が大森駅ということで座れた。
大森駅から東神奈川へ、運良くこれにも座れて東神奈川駅着。
東神奈川始発の横浜線に乗り換えて、無事成瀬駅到着。
新幹線と都区内の切符で、
<能登の旅>では切符をそのまま改札機に入れて、
<スイカ>で乗り越し運賃を支払おうと試したら、
機械に「精算せよ」と怒られたので、今回は精算機で済ませた。
(新幹線の改札機と同じにすればよいのに)
<縄文の旅>から得た私の感想は、
縄文人イコール原始人という考えを全く捨て去ること、
物質文明に浸っている私たち現代人よりも、
精神生活の豊かさでは縄文人の方が優れているのではないか、と。
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