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    能登の旅4
      ・・加賀屋~富山~帰途
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         富山  林さん  帰途



 第四日目
 3月23日(火)
 7時半に朝食を摂り部屋に戻る。

 朝食 :これだけ見ても、夕食が盛り沢山と分かる。

 その後、係の仲居さんが、
 前夜土産物を詰めた段ボール箱を受け取りに来た際、
 50周年のお祝いとして「輪島塗御箸」を持って来た。
 妻は八汐やランプの宿は記念としてすぐに用意していたのに、
 <加賀屋にはないのかしら>と思っていたのだった。
 なお、八汐と加賀屋は「輪島塗御箸」だが、
 ランプの宿では、トレードマークの<ランプ>が描かれた
 「カップ(有田焼)」であった。

 下の写真、左・八汐  中央・ランプの宿(一対ある)  右・加賀屋
 


 ホテル出発まで時間があるので、
 希望者は周辺の散策と<青林寺>などの見学に出かけるため、
 10時にロビーに集合した。
 <ル・ミュゼ・ド・アッシュ>という店から
 <青林寺>へ街並みを見ながら向かう。


 「青林寺

 大正天皇が皇太子時代に和倉行啓の折、
 建築された休憩所「御便殿」を移築したもので、
 天皇ゆかりのものが保管されている。
 例えば、実際に使用した座布団など。

 座布団

 また、窓越しの庭園が有名らしい。
 何故かというと、部屋の座り机の片隅から庭の写真を撮ると、
 上下に同じ写真が撮れることで、
 下の写真は黒い机に映ったものだ。

 ちょうど道を歩く人の姿が池の水面映るのと同じ原理が働くようだ。
 いつこれを発見したか知らないが、机の片隅に布を置き、
 その上にカメラを置いて撮ると向きが反対の上下同じ写真となる。
 実際に試してみると、まさにそのように映っていた。

 


 青林寺からの帰りに、途中スーパーで弁当を買った。
 ホテルの昼食はないので、富山に向かう列車の中で食べるため。
 これでホテルの朝食と夕食の<ご馳走>とはお別れだ。


 富山

 今日の一番の予定は富山で友人とも何十年ぶりかの再会を果たすこと、
 この旅行は<再会>尽くしになった。

 加賀屋をホテルの送迎バスで12時半出発、和倉温泉駅へ。
 「かがり火6号」(12:56発)で金沢駅(14:04着)へ。
 金沢駅でツアーの一行は解散した


 私たちは金沢駅を「はくたか568号」(14:47発)で
 富山駅(15:09着)に向かう。
 友人にはLINEで富山駅着と富山駅発の時間を知らせると、
 友人から改札口で待つと折り返し返信があった。

 林さん

 富山には3時間余りしかいられない。
 久しぶりに再会するのだから、ゆっくりと富山1泊でも良いのだが、
 コロナ禍の中では致し方ないと思う。
 ところで、久しぶりの再会でお互いに見分けつくか、
 ちょっと気にしていたが、
 新幹線の改札口には帽子を被った同年輩の人が一人、
 すぐに見分けがついた。
 <やあやあ>と声を掛け合い、再会を果たした。

 友人の名は林さん(LINEでは「はやくに」さん)。
 林さんは私の友人というより妻の友人で、
 かつて東京の会社で妻の同僚であった。
 私とは同学年(彼は早生まれ)で東京で2・3度会っていたし、
 富山に帰郷後に1度わが家を訪れていた。

 妻によれば、50年前、私たち三人は夜行列車で同行した、と言う。
 林さんは富山に帰郷し、私たちは旅行で、と。
 しかし、林さんと私には一緒にいたという記憶は無い。
 さて、真相は(ゼロの焦点の如き)?


 とにかく、林さんは、<夕食を一緒に>するゆとりがないのでと、
 私たちを富山観光スポットに車で案内するようだ。
 私たちの旅行荷物を車に入れ、富山市内を回りながら説明もしてくれる。
 主に会話は林さんと妻の間で、
 かつての回想やら会社で同僚だった人たちについて
 互いに知ってることとかの話をしている。

 やがて、林さんは私たちを「立山連峰」を展望できるスポット、
 <呉羽山展望台>に案内してくれた。
 立山連峰の眺望は素晴らしい!

 林さんによると、連峰には「立山」という名の山はない、
 「雄山」が中心とのこと。
 下の写真、展望台の図版。 ↓ここが雄山
 


 呉羽山展望台から写真を撮ったけれど、下の二枚の写真に「雄山」が映ってるかなぁ。
 下の写真、中央の<タワー>が目立ちすぎて、ついタワーを撮ってしまう。
 それに、このタワーは何だろうか?上の図版にはないようだが。
 林さんに聞いてみなければ。

 

 こっちの写真に、雄山があるかなあ。

 



 休息のために付近の店に入り、飲み物を注文して三人の会話を続けた。
 林さんは、富山帰郷後、建機関連会社に入社、
 15年後に独立して自分の会社を設立した、と。
 また、(私と違って)禁煙したのは
 経営者として自分が健康を害してはいけないと思ったからという(私なんかより偉い!)。

 そして、林さんは、わざわざ私たちのために、図書館で調べた資料、
 和倉温泉から珠洲へ通っていて今や廃線となっている「のと鉄道」のコピー
 その他を渡してくれた(頭が下がる思い)。


 林さんはスマホを取り出し、自宅の軒や屋根に雪が積もっている写真を見せ、
 今年は例年に比べ富山でも雪が多く、
 126cmも積もって、雪掻きが大変だった、と。
 そういえば、能登でも今年雪の多い場所で160cm超えた、と
 バスガイドが話していたことや、
 旅行前のテレビでは、北陸の豪雪のため交通ストップした状況を
 映し出していたことを思い出した。
 私の方では、スマホで私のホームページを一部紹介した。


 店を出ると、店の前で店の女性が三人の記念写真を撮ってくれた。
 車に乗る前に、林さんと私は話を続け、
 彼がリタイアした現在、ヨガやテニスを楽しんでいると言い、
 私の方では運動施設に通ってる、と。
 私から見て、林さんは私よりはるかに元気そうで、
 私も負けないようにしなくてはと思う。

 さらに、妻が思い出したのは、
 林さんは帰郷の翌年に結婚して、東京に新婚旅行で来たこと。
 その時、渋谷でかつての同僚・仲間たちと林夫妻をお祝いし、
 ガラスの置き時計をプレゼントした(わが妻が選んだ)という。
 ということは、林夫妻は来年結婚50周年(金婚)であって、
 私たちと同様、来年思い出の地に旅立つのだろう。


 帰途

 私たちは<林さんとの再会>を約して別れ、
 富山駅発「かがやき514号」(18:15発)に乗車、
 東京駅に向かう。
 車中で林さんが用意してくれた「鱒寿司」を夕食として食べ、
 東京駅に午後8時23分に予定通り到着した。

 東京駅から東神奈川で乗り換えて、無事午後9時53分、
 成瀬駅に帰着した。
 成瀬駅で改札を通るとき、
 富山からの新幹線切符と金沢からの乗車券を改札機に通すと、
 <乗り越し精算>のアナウンスがあった。
 そうか、ここでは改札機では精算できないのだ。
 往きの東京駅では都区内からの乗車券と新幹線切符を改札機に通すと、
 成瀬から蒲田の都区外分が電子マネーSuicaで精算できた。
 これは便利と思いつつ、帰りの成瀬駅で試したのだった。

 とにかく、3泊4日の能登の旅は無事終了、
 無事なわが家に無事帰宅してホッと一息ついた。

 帰宅後、猿女宮司さんにお礼状と品を送ると、
 折り返して、宮司さんから北國新聞掲載の
 インタビュー記事(3月28日付け)が送られてきた。
 その後に、北國新聞から大型パネル版の新聞記事が送付されてきた。



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