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  タリバンと北部同盟


 アフガニスタンとは?

 民族構成上、
 40%を占めるパシュトーン人(1千万人)と、
 隣国ウズペキスタンのウズベク人
 タジキスタンのタジク人
 国内のハザラ人が主な民族であるらしい。

 もともと歴史を遡れば、
 ロシア帝国とイギリスとの抗争の舞台であった
 アフガニスタンは、
 第1次大戦前にはイギリスの保護国となり、
 ロシアからのイギリス植民地インド(現パキスタン含む)
 への脅威の緩衝地帯であった。
 そしてアフガニスタンは
 パシュトーン人の王家が支配した。
 タリバン後の政府は
 前国王を象徴的存在として構想されているが、
 この人物もパシュトーン人であることはいうまでもない。

 他方、ハザラ人
 アフガニスタンの少数民族として、
 歴史的にパシュトーン人の差別・迫害を
 受けてきたという。
 また、ハザラ人はモンゴル系民族で
 イスラム・シーア派であるという。

 タリバン政権は
 パシュトーン人の政権という性格も合わせ持つ。
 旧ソ連を後ろ盾とした社会主義政権の崩壊後、
 ムジャヒディン(イスラム戦士)各派による連合政権は、
 各派の抗争によって内部分裂した。

 オマル師を最高指導者とするタリバンは、
 1994年、カンダハルで成立
 もともとタリバンは
 パキスタン北部にあった
 イスラム教デェオパンディ派神学校の学生が中心。
  *デェオパンディ派は宗教権威を重視、
   復古主義的といわれる。
 ムジャヒディン民族各派の抗争を尻目に、
 彼らは民衆の支持を広げて急成長したのであった。


 96年、首都カブール占領。
 98年8月、
 ウズベク系ドスタム将軍の支配する
 北部のマザリシャリフ制圧、
 9月にはハザラ系カリム・ハリリの守る
 中央部のバーミヤン制圧。
 国土の90%を支配下に置くことに成功し、
 残る抵抗勢力は
 バタグシャンやパンジシールなど北東部を維持する
 タジク系のマスード将軍の軍隊だけであった。
 こうして、
 今年3月、<バーミヤンの石仏破壊>に至った。


 下図は、1996年当時のアフガニスタン勢力図。
 赤色が、タジク系のマスード将軍の勢力圏。
 緑色が、ウズベク系ドスタム将軍の勢力圏
 (上記のようにタリバンが制圧)。
 黄色が、タリバン政権の勢力圏(カブール占領後)。

 



 ムジャヒディンと北部同盟
 カブールを失った
 反パシュトーン人のムジャヒディン各派は、
 各勢力ごとに自分たちの軍事拠点をによって
 タリバン政権に対抗していたが、
 タリバンの軍事攻勢に押されて、
 反タリバン軍事同盟として「北部同盟」を結成した。

 「北部同盟」結成は、
 タリバン政権を支持してきたパキスタンに対抗するために、
 アフガニスタン全土がパキスタンの影響下に入ることを恐れた
 インドやイラン(イスラム・シーア派の国家)が
 それぞれに支持を与えたことによるようだ。
 また、タジキスタンやウズベキスタンも当然支持しただろう。
 (両国の背後には、ロシアがいることも確か)


 こうした事情を見ると、
 北部同盟は反パシュトーン系民族各派の
 「寄り合い所帯」として、
 余り信用されないだろう。
 現に、カブールの住民(パシュトーン人が多数)は、
 北部同盟軍のカブール占領が
 住民虐殺や婦女暴行・略奪を引き起こす、
 と恐れているらしい。


 9月11日の2日前
 マスード司令官が暗殺された
 アラブ系のジャーナリストのインタビューに応じた時、
 カメラマンのカメラが突然爆発、
 マスード司令官は重傷を負い、
 何日か後に死亡(死亡が一時伏せられていた)。
 このテロはビンラディン・グループの仕業という。
 (これは、大いにあり得ることと私も思う)

 マスード司令官は、
 「北部同盟」の事実上の代表として、
 西欧の支持を広く訴えて欧米に唯一知られた人物であった。
 彼自身は、社会主義政権後の
 かつてのムジャヒディン連合政権の国防長官であり、
 タジク系の指導者でもあったが、
 北部同盟結成後はそのシンボル的存在であったようだ。
 彼を失ったことは、北部同盟の手痛い打撃となった。
 また、彼が生きていればタリバン政権後の
 政権構想の重要なポイントになったと思われる。

 他方、パシュトーン人のムジャヒディンのその後は、
 おそらくタリバン側に多数が付き、
 反タリバン派は
 パキスタン国内に逃れるか、難民となった。

 パキスタンとアフガニスタンの国境を間に
 パシュトーン人が多く住む。
 パキスタンには2千万人のパシュトーン人が住む。
 (アフガニスタンには1千万人)

 また、国境のパキスタン側には
 伝統的な部族自治区があって、
 パキスタン政府もそこには介入しないらしい。
 現在、1万人ともいわれるタリバン支持のパシュトーン人が
 武器を携えパキスタン国境を越えているらしい。
 米軍に対するジハードのために、
 <新たなムジャヒディン>が生じているということか。
 タリバン側はとりあえず1000人のみを受け入れたという。

 武器を携行した新たなムジャヒディンといっても、
 圧倒的な米軍の火力を前にして、
 冷静に見て彼らが
 戦闘員・軍人としてすぐに役立つとは期待できない。
 タリバン側もこの点で冷静かつ慎重であるようだ。
 また、無原則に受け入れたならば、
 米英軍に訓練された特殊工作員(兵)や
 反タリバン派のスパイが
 紛れ込むかもしれない(かなり可能性は高いと思う)。


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