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須須神社
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参考
上の写真、高座宮の拝殿。
御祭神
天津日高彦穂瓊瓊杵尊 :高座宮の主神
美穂須須美命 :奥宮の主神
木花咲耶姫命 :金分宮の主神
外三柱
鎮座地
珠洲市三崎町寺家4-2
氏子区域
珠洲市
三崎町高波三崎町寺家
由緒
当社は高座宮(たかくらぐう)と
金分宮(きんぶんぐう)の両社に
御夫婦の大神を祀り、
須須神社と称し
「三崎権現」「須須大明神」と尊崇され、
東北鬼門日本海の守護神として、
あまねく信仰され、
災難除けの御神徳あらたかな御社である。
第十代崇神天皇(約2000年前)の御代
能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に
創建され、
天平勝宝年間に現在の地に遷座しました。
国史「三代実録」によると、
貞観(じょうがん)15年(873)8月4日
従五位上の神階を賜わった、延喜式内の古社で、
社伝によれば用明、元正両天皇より勅使の献幣があり
足利時代は大宮司猿女(さるめ)氏以下、
社人社僧多く、別当寺に十二坊、
社領3千石が献納されており、
天正12年(1584)加賀藩主前田利家公が
巡国のみぎり御祈願所と定め、
社領として神田5町歩(石高75石)を寄進し、
武運長久の祈願をされております。
古代より縁むすびの神として、
世に知られており、
この「むすび」とは、
ただ単に男女の仲を結ぶだけではなく
生成化育、修理固成という
日本民族の根本精神である神業(かみわざ)を、
みずから妹背(ふうふ)の契を結び
子孫繁栄の道を示し教えられた
尊い祖神(おやがみ)さまであります。
また祭礼は珠洲一郡の総社として
「お郡祭(こうりさい)」
「御出御幸(おいでごこう)」と称し
郡内巡行の祭儀が半月がかりで
近年まで斎行されていました。
奥宮鎮座地の山伏山(標高172メートル)は
山容優美にして海上からの景観は、
鈴をさかさにしたような典型的な神奈備の霊山で、
原始時代から北海航行の目標、漁だめの森、
御神体山として崇拝され、
平安中期(約1200年前)には
海上警戒の設備を置き、
「烽火(のろし)」(狼煙(のろし))が一たび、
あがると、郡家で受継ぎ国府、
そして京の都へ伝達されたと云われている。
元禄10年(1697)
加賀藩へ出した大宮司書状によると
すでに奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、
一夜に油1升、燈心布3尺をもちい、
夜ごと大神に献燈し、
北海暗夜、渡海船を守護し、
この燈明堂が明治初年
現在の禄剛崎灯台に進展したものです。
本社社叢(もり)は
千古の昔から神域として保護され、
北部照葉樹林の、うっそうたる原生林をなし
境内約一万坪には、スダジイをはじめ、
タブノキ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ等が混じり、
林床にはミヤマシキミの純群落が見られ
約250種の植物があり、
国の特別史跡名勝天然記念物に指定され、
貴重な存在とされております。
宮司
猿女 貞信
<参考>
須須神社の宝物殿には、
国指定重要文化財の<木造男神像>や、
数々の古文書、義経ゆかりの品々が
収蔵されています。
中でも「蝉折の笛」は
義経が海難を救われたお礼として奉納した宝物の一つです。
須須神社では、毎年3月15日に
伝統行事の「的打神事」が行われます。
流鏑馬から派生した神事で、
悪神を矢で退治し一年の平安を祈ります。
参拝者が的に命中させると幸運になると
伝えられています。
下の写真、猿女宮司さん。
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