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出発~モスクワ空港~ホテル・コスモス
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旅行ガイド雑感 空港にて 夜のショッピング
第1日目
出発
私にとって2回目の海外旅行。
今度は、政情不安・経済危機を伝えられるロシアということで、
旅行前にいろんな人から「何で今ロシアか」と訝しげな目で見られた。
しかし、旧ソ連時代のロシアと現在のロシアとはどうなのか、
という興味もあって、渦中に飛び込むつもりで出かけた訳であった。
成田発10時のエアロフロート航空ということで、
逆算すると5時半ごろに家を出る必要がある。
ところが、成田に8時頃着いてみれば、
何とこの便のエアロフロート機は欠航!!で、
次の12時の便になったという。
原因は、
飛んでくるはずのエアロフロート機が飛んでこなかったという。
さもありなん、という気になって12時の便に乗った。
ところが、機内を見ると、荷物入れのその上にある、
おそらく機内の換気口と思われる部分の扉が、
一箇所、壊れてはずれそうになって
ブラブラしていることに気づいた。
その他のところもガムテープを貼って「補修」している。
さすがに乗客からパーサーに注意があり、
パーサーはとんとん手でたたいたりして直そうとしたが、
結局、あきらめてそのままになってしまった。
その真下にいる乗客は、飛行中、とても不安だったろうし、
文字通り「お気の毒様」であった。
こればかりではなかった。
モスクワからサンクトペテルブルグへの
エアロフロートの国内便では、
外から見ると尾翼の付近に穴が開いていた。
「よくもまあ、こんなことが」と思うが、
これがロシア的なおおらかさというものか。
飛べれば、あとは<ノー・プロブレム>。
とにかく、海外旅行をするようなロシア人は
エアロフロートには乗りたがらない、
乗り次いででも他の航空機を利用するというらしいが、
成田からロシアへ直行する便は
ほとんどエアロフロートで私たちには選びようがない。
しかし、パイロットの腕は案外良さそうで、
旧ソ連軍パイロット出が多いというが、
着陸時の衝撃はほとんどなく、これには感心した。
エアロフロートも捨てたものではない。
旅行ガイド雑感
海外パック旅行のいいところは、旅行ガイドがつくことである。
おそらく、個人で旅行すれば
自由に旅ができるという気楽さがある反面、
ホテルの予約から何から何まで全部やらなければならないという
煩雑さプラス、事前の周到な準備によって
計画的に観光する必要がある。
これに反して、パック旅行は自由な時間が取れなくても、
観光ガイドブックを頼った事前準備がいらない。
例えば、どこかの美術館に入って絵を見るとしても、
日本語で解説されているわけではない。
専門的な知識のないわれわれが、
現地で実物を見ながら「解説を参考に絵を鑑賞する」とすれば、
相当な努力と時間的な余裕が必要になる。
これを、パック旅行では旅行ガイドが日本語で解説して
われわれは絵を鑑賞するということで済む。
今回のロシア旅行のガイドさんは女性で、
日本語も流暢であった。
モスクワのガイドは私と同年齢で
日本にも何回も来たことがあるという。
サンクトペテルブルグのガイドは
私より若くまだ日本に来たことがないという。
両ガイドを比較すると、
サンクトペテルブルグのガイドはかなり定型化した日本語。
これを「ご覧ください……、これは何々です」
というような言いまわしが耳について、
いかにも大学で習った日本語の口調がみられたが、
モスクワのガイドにはそれがなく、
くだけた口調で自然な感じがあった。
ただ、この意味では、旧ソ連時代のことを思えば、
モスクワのガイドは、
案外、ソ連から日本に派遣された使節団や外交官などの
女性通訳として活動した経験があるのではないかと思われる。
ただの民間人としてソ連・ロシアから何回も来日したとは思えない。
また、サンクトペテルブルグのガイドさんとは、
バスの中で私的に質問したりして
話をした(もちろん日本語で)。
その中で、彼女の夫君の祖父にあたる人が
スターリン時代に粛清されたヤキール将軍(注1)であること。
その結果、夫君の一族にも迫害が及び、
夫君も収容所の苦しい体験をした人なのだと話してくれた。
考えてみれば、
スターリン独裁と粛清の歴史はそんなに昔のことでなく、
現にロシアでは家族の記憶として
今もなお生々しいものがあるということを
改めて私は実感できた。
<注1>
ヤキール将軍
1937年5月末、「トゥハチェフスキー事件」が摘発された。
当時のソ連赤軍総司令官、トゥハチェフスキー元帥を首謀者として
「国家反逆をドイツの手先として企図した」として告発された。
ヤキール将軍はその一人(25年後に復権した)。
彼らは秘密裁判で死刑となる。
これ以後、
スターリンの粛清によって20万人以上のソ連将校団が壊滅し、
ナチス・ドイツの侵攻に直面したときには、
すでにソ連赤軍は無力化していたのであった。
モスクワ
空港にて
ロシアの表玄関、「シェレメチェヴァ2空港」に着いて、
入国手続きのため並んでいると、
入国検査官は制服姿の若い美人の女性で、
「ソ連(ロシア)は女性が差別なく働ける国」
というイメージが浮かんできた。
しかし、私がパスポートなどを提示してぼんやり立っていると、
「行け!」と言うような短い言葉を発して、
(ロシア語で何といったか分からないが)
冷たく追い払われたのであった。
また、国際空港にもかかわらず、
成田とは比較を絶してトイレは汚いらしい。
私の同行者(妻)の言うことには、
水が出ない、便器の座る台座がない、など。
まあ、緊急の場合以外には使わないのだろう?
旅行以前に、読んだ本や添乗員の話から、
そうなっているという知識通りであるということ。
また、とにかくトイレットペーパーなどの紙質が悪いということで、
日本からトイレットペーパーを持参して
今回のロシア旅行に臨んだ、私たちであった。
荷物を受け取るのに結構時間がかかって、
さあ空港を出ようとすると、
今回のパック旅行の一行中の旅慣れた(らしい)人が、
今度は、荷物をバスに運ぶポーターに対して
警戒した方がいいと言う。
そういうわけで、
バスに自分たちの荷物が無事運び込まれたかどうか、
油断なく見張ることになった。
かくして、今回の海外旅行でも、
日本国内の旅行と比較を絶して、
<気疲れ旅行>になる気配が濃厚になってきたので、
幾分憂鬱な気分が漂ってきた。
空港から市内へ向かうバス中から見ると、
宣伝の看板などから
アメリカなどの外資導入が進んでいる様子が分かり、
前回の<スペイン・ポルトガルの旅>と
変わらない様子であった。
しかし、モスクワ周辺にある、
かつてのコルホーズはやはり寂れた感じで、
点々と農家があるといった風情であった。
ホテル・コスモス
私たちがモスクワで泊まるホテル。
1980年のモスクワ・オリンピックに向けて
フランスとの合弁で建てられたという。
モスクワ・オリンピックといえば、
アメリカの干渉で不参加国が多かった。
もちろん、日本も不参加。
オリンピックに政治が持ち込まれ、
オリンピックを目指していた日本選手たちも
涙をのんだのであった。
ともかく、26階建ての巨大ホテルで、
いろいろ設備があり、豪華さはある。
しかし、エレベーターの各階表示が一部でないとか、
修理せずにそのままになっているものも結構ある。
こうしたことも、
<ロシア的おおらかさ>の典型なのだろうか。
ちょっと日本では考えられないが、
案外ヨーロッパでは珍しいことでもないかもしれない。
それでもこのホテルは、
モスクワの中心地からちょっと離れているが、
すぐそばに地下鉄の駅があり交通の便は悪くない。
モスクワ市街のほぼ北にあり、
近くには、
モスクワ第1の高さの「オスタンキノ・テレビ塔」や、
全ロシア展覧会センターがあって、
公園もあり環境は恵まれている。
夜のショッピング
今日は夕食は自由ということなので、
ホテルの近くの人でにぎわう
広場に出かけて見ようということになった。
夕食も気になるが、この旅行でも「水」を求めることが、
重要な課題である!!
(何か、砂漠に迷った旅人のように)
そこで、ホテルを出て、地下道を通って向かいの広場に出た。
地下道といっても、そこにはたくさんの小さな店が並んでいて、
土産物・一般の品物や、露天?の果物売りらが
雑多に売られていて、賑わっている。
そこで気づいたのは、
店のカウンターが一様に狭く
現金のやりとりが
ガラス戸越しに行われることであった。
(もちろん露天はちがうが)
日本の商店と比べると、何とも警戒厳重な様子である。
向かいの広場に出ると、人の行き交いが結構あって、
また<たむろする>ような人々がいて、
一応私と同行者は警戒の目配りをしながら、広場を見て回った。
中央のドームのような建物が、
地下鉄メトロの駅であることが分かり、
またコンビニのような多少大きい店、
まさに、コンビニで24時間営業を見つけ、
(後で気づいたがモスクワには24時間営業のコンビニが結構あった)
そこで、水とビール、夕食用の生ハムやパン、
漬け物などを買った。
買うといっても、日本と違って、
品物をレジにそのまま持っていくのではなく、
売り子にこれとこれと注文すると、
レジに行ってその代金のチケットを買い、
これを売り子に渡すという、
二重手間のようなやり方で面倒くさい。
また、品物を並べるボックスは、
そのガラス戸をいちいち売り子が鍵を開けて
品物を出すという場合もある。
このロシア風の販売方法では、
せっかちな日本人には全く合わないに違いない。
しかし、日本のテレビでよく見かけた、
買い物のための長い行列や、
店に品物が全く見あたらないような映像とは雲泥の差で、
品物も豊富に出回っており、
経済危機を伝えながらも全くその様子は見られない。
旧ソ連時代の日本のテレビ映像は
本当に実際あったことなのか信じられないのが
ロシアの現状であった。
再び、地下道を見て回りながら、ホテルへ帰るとき、
警官がパトロールしていて、若者に職務質問?している。
どうやら身分証明書を提示するように言っているらしい。
「やっぱりかっぱらいなどもあるようだな」と思いながら、
ホテルに帰り、買ったもので軽い夕食をとった。
買ってきた漬け物は、
予想より味も濃くニンニクも良く利いていたが、
案外、パン食に合ってうまかった。
ところで、ロシアの旅行の安全について
旅行前の本や業者の注意やら、
また友人などから聞いた忠告は、
「ロシアはマフィアが横行していて、
アメリカ以上に危険」とか、
「夜間外出禁止」などの、治安の悪さであった。
旅行前の私の思いは、
「とにかく、ロシアの有名な白夜はあきらめて、
夜、出なければいいんだろ」と。
だが、しかし、やはり白夜は確かで、
8月の半ば過ぎであったので、
もともと完全な白夜は期待できないと思っていたが
何と10時過ぎでもロシアは明るいのであった!!。
これなら、申し分ない、
最近真夜中まで起きていられない私の生活習慣からは、
別にそれ以上の期待しないのだから。
マフィアについては、
結局、旅行中それらしき存在は見かけなかった。
ただ、貧富の格差はかなりあるようだ。
ホテルのロビーなどでは、
デブちょのロシアの成金らしき人物やその取り巻き、
また豪華なコートをまとった女性やらを見かけた。
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