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スペインの旅1
・・スペイン・ポルトガル旅行1
出発~ドゴール空港~マドリッド~王宮
~スペイン広場~プラド美術館~トレド
~サント・トメ教会~カテドラル
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①マドリッド ②スペイン広場
③プラド美術館 ④トレド
⑤市内観光
出発
私にとって初めての海外旅行だったので、
それなりに緊張感を持っていた。
成田からフランス・ドゴール空港経由
マドリッドへ、
エア・フランス航空であった。
途中、ドゴール空港では、
マドリッドへ飛ぶ便がなかなか出ず
空港で一夜を過ごすのかと半ばあきらめていた。
原因は、
空港へ飛行燃料を給油するシステムが故障して
それを修理しているということだった。
その日はちょうどクリスマスの25日で、
空港職員もちらほらいる程度で、
場内アナウンスもほとんどなく、
(あってもわからないが)
「ひたすら待つ」ということになった。
パック旅行の添乗員もあきらめ顔でいた。
われわれと同様マドリッドへ行く
外国人(帰省する人、旅行者など)は、
彼らも、騒ぐことなく
ひたすら<じっと待つ>という態度であった。
これが成田空港であったら、
日本人ならば結構騒ぐところかも知れない
ということを思いつつ、
彼らと共にじっと私も待った。
そして、
マドリッドのホテルに着いたのは
真夜中の2時過ぎだったと思う。
結局、ドゴール空港では搭乗ゲート口前で
じっとしのびよる寒気にも耐えてながら
7時間以上過ごした。
旅行の安全
ところで、初めて海外旅行する私と同行者は、
旅行前の業者やガイドブックの説明から、
とにかく「泥棒に注意!」ということばかり
聞かされていたので、
今回の旅はとても国内旅行の雰囲気ではなく、
この点でも緊張を強いられた。
例えば、パスポートや現金は、
決して肌身離さずに所持すること。
このため、ホテルの部屋も安全といえないので、
寝るときも腹巻きなどに入れて寝る。
観光中も、
置き引き、かっぱらい、スリにはくれぐれも注意!
観光しながら自分の身辺に気を配ることなど。
これじゃあ、いったい旅行を楽しむどころか
<気疲れ旅行>になってしまう。
しょうがないと思いつつ、
私はとりあえず、
首からひもでベルトに通せる小物入れに
パスポートやVISAカード、大きな現金を、
旅行中、肌身離さず身につけていたのであった。
そのせいか、
トラブルは生じなかったので、まあまあであった。
スペイン2日目
マドリッド
真夜中の2時過ぎにホテルに入って、
ほぼ仮眠状態で
マドリッド市内観光に出かけることになった。
マドリッド市内観光は、
私のヨーロッパ初体験という意味で、
私にとって興味深いものだった。
また、第2次大戦直前の
「スペイン内戦」の知識によって
内戦下のマドリッドを想いながら、
見てまわるつもりであったが、
とりあえず内戦の痕跡はない。
(私のアナクロニズムでしかない)
旅行ガイドの話によれば、
今、スペインは経済発展の途上にあり、
EU内でも成長率はトップクラスという。
私の旅行前の知識では、
西欧の中でも経済的に遅れた国、
だから泥棒など治安の悪さというものだった。
こうした短絡的な印象は修正しなければならない。
治安の悪さの一因は、
北アフリカ・アルジェリアからの難民が
流入していることによる、という。
現在、アルジェリアでは
イスラム原理主義の反政府ゲリラと
政府軍の戦い・弾圧で政情悪化、
多数の難民流出。
旅行中、
こうした難民らしい物乞いの若者を1度見かけた。
バスの市内観光は、
ブラブラする暇と自由がないが、効率的。
マドリッドの中心、
プエルタ・デル・ソル(太陽の門)の広場など、
途中、あちこちと有名な寺院や宮殿など建物、
記念碑・像、庭園や広場を見て回る。
王宮
1764年に再建されたというが、内部は確かに豪華で、
「玉座の間」や大広間、「着替えの間」など
2700もの部屋があるらしい。
また、広い庭園もある。
一般にヨーロッパの王宮・宮殿というと、
城壁に物見などの小塔を持つ
「お城」のイメージがある。
しかし、それぞれに建物の装飾が
いろいろと施されているが、
基本形は<矩形のビルと屋根中央の丸い塔>ようだ。
この意味では、
スペインの建物の形式は大なり小なり同じである。
ところで、現在の国王(王国なのだ!)は、
オリンピックの馬術の選手だったようで、
親日家でもあるという。
スペイン広場
『ドン・キ・ホーテ』の作者、
セルバンテスを記念して作られた新しいもの。
彼の大きな彫像が、
ドン・キ・ホーテとサンチョ・パンサ像を
見下ろすように作られている。
また、広い公園になっていて、
人で(もちろん観光客が多いが)にぎわっている。
昼食のレストランでは、
「タパス」
小エビの鉄板焼きや、
ゆでたムール貝にレモン汁をかけたもの、
であったらしい?
今となっては記憶にない。
その後、
アウトレット・ショッピングに連れ出されて行った店、
「レパント」(有名らしい)で、
私はとりあえずスペインの革製ベルトを買った。
(現在、着用している)
スペインの革製品はなめらかで良い。
また、売り子は、スペイン美人で
なおかつ日本語で説明してくれた。
なお、マドリッドの「三越」にも行った。
ここは、マドリッドでも指折りの繁華街、
「グラン・ビア」。
行き交う人の波も途切れず、
新宿というよりも
有楽町か銀座のような雰囲気であった。
人波の多くはもちろんスペイン人。
しかし、
人混みの混雑になれた私などにはちょうど良く、
何かふと安堵する気になったのは不思議。
プラド美術館
マドリッド観光のメインは、ここ。
世界の三大か四大かの美術館だけあって、
見るべき絵画は多数(8,000点あるという)。
とても一日では見切れない。
中でも有名な、
ゴヤの
『着衣のマハ』、『裸のマハ』、『5月3日』など、
エル・グレコの
『聖三位一体』や『受胎告知』、
フラ・アンジェリコの『受胎告知』、
また、ベラスケスの『女官たち』(Las Meninas)
などなど、目白押しである。
旅行ガイドの説明では、
特に『女官たち』は、遠近法的な手法で、
平面のキャンバスに
視覚的・映像的な空間を作りだし、
この点で絵画史上画期的な作品という。
そういわれてみると、
確かに空間的イメージが湧いてくる、
中央のマルガリータ王女を中心とした
人物や家具などの配置によって。
しかし、ガイドによれば、
幼いマルガリータには
濃い血族結婚の末の
知的障害が見られるという。
彼女の顔の表情から確かに読みとれる。
ところで、今日のガイドは
日本の男性であった。
ヨーロッパでは正式な観光ガイドは現地人であって、
日本人などのガイドは正規の免許を持たないらしい。
それで、実際のガイドは日本人だが、
その場合必ず現地人のガイドが同行する。
現地人ガイド、彼らの仕事は
事前に入場券を手に入れるとかの
雑用をする事になる。
プラド美術館は、
特に、ガイドについてうるさいらしく、
日本人ガイドは、われわれパック旅行の一行の者が
フラッシュ禁止の場所でフラッシュで撮ったりすると、
以後プラド美術館では
「ガイドの許可が取り消される
かも知れないのでよろしく」
とわれわれに頼んでいた。
彼は、スペインに
美術の研究のために来ているようで、
日本の某テレビ局が
プラド美術館の取材に来たときにも、
世話役となったという。
美術館は観光客でものすごい混みようであった。
ガイドにはぐれないように見て回った。
当然、われわれのような日本人団体もいくつもあった。
疲れて外で一服して、人心地ついた気でいると、
観光客目当ての 物売りが
日本語に慣れた口調で絵はがきなどを
売りにそばに寄ってくる。
彼らのお得意先は、やはり日本人観光客らしく、
それ用の品物を売りに来る。
トレド
こうして、マドリッドからトレドの町に、
急ぎ足でわれわれのバスは向かった。
前夜の疲れから途中ウトウトしながら、
5時か6時頃に、
13世紀につくられというアルカンタラ橋を渡り、
トレドの町に入った。
ホテルは「アルフォンソ4世」という名で、
いかにも中世という時代を感じさせる古い造りの宿であった。
トレドの町なか
夕食後、元気を回復して、
町の様子を見物しに出かけた。
土産物店をあちこち見ていたが、
通りの向かいにある<教会>を見ると、
出入りする多くの人々がいて、ろうそくを灯して
しきりに礼拝しているらしい様子があった
しかし、
何と銃を構えた迷彩服姿の警備兵らしき者がいる。
これは一体どういうことだろう?
と、いぶかしく思った。
その後、坂を下って、
(トレドの町は、丘につくられており、
また細い石畳の道路が入り組んでいる)
町の中心ソコドベール広場に行った。
スペインではクリスマス後も祭りが続いていて、
この広場でもステージが組まれ、コンサートや踊り、
周辺では子供用の遊び場や屋台でにぎわっていた。
(ただ、トレドの町は小さく、大がかりではない)
ホテルに帰ってさあ寝ようとしても、
この日は
近くの居酒屋らしきところからの歓声やらで、
真夜中過ぎても寝付かれなかった。
翌日、朝食後、散歩に出て、
タホ川の川辺から、
昨日気になった<教会らしきもの>を見ると、
門には、
やはり迷彩服姿の警備兵が立哨している。
警備兵がいるのは、
ひょっとして、いわゆる過激派のテロ対策か、
(アルジェリアの紛争の話を聞いていた)
と連想したわけだった。
もし、教会ならば、ちょっと中を覗いてみよう
と思っていたがあきらめた。
ここは教会ではなく、
「アルカサル」であった。
アルカサルは、
どうも政府の管理下にあるらしいとしか
わからなかった。
ここには、
「スペイン市民戦争」当時の面影として、
地下にはフランコ軍の家族が立てこもった跡や、
2階には爆撃後のモスカルード大佐の部屋が
再現されている、という。
注)アルカサル(Alcazar)
「城」の意味か。
アルはアラビア語冠詞、アルハンブラなど。
カサルは城(砦)、キャッスルに通じる。
町を象徴し守護する砦として、
おそらく、
イスラムが建設したことを起源としている。
トレドの今昔
トレドは、例のゲルマン民族大移動によって
イベリア半島に定着した
西ゴート族の王国の首都であった。
それ以来、次のイスラムの勢力の侵攻・定着、
キリスト教徒の反撃(レコンキスタ)と、
歴史の舞台で重要な町であった。
現在は、
古都として世界文化遺産に
町ぐるみ指定されていて、
中世から近代初期の町並が保存されている。
建物の改修にも許可が必要らしい。
タホ川に三方を囲まれて、
対岸から見ると
城塞風にくっきりと浮かび上がる
町の全貌は、古都の風格があり、
やはり一見する価値がある。
市内観光
市内観光は、主として、
バスが通れないので、徒歩であった。
この町にもプエルタ・デル・ソル(太陽の門)があり、
その名のとおり町(砦)の東門を指す。
石畳と狭く入り組み登り降りの多い道を、
現地人ガイドに案内されて、歩いた。
一人で歩いたなら、
たちまち途方に暮れたと思うような
迷路を歩いている様だった。
スペイン人のガイドは、
いかにも陽気なスペイン男らしく、
また日本語も達者であった。
彼はトレドのガイド協会のお偉方らしく、
ガイドブックも書いているようだ。
サント・トメ教会
エル・グレコの傑作、
『オルガス伯の埋葬』があることで知られている、
小さい教会である。
エル・グレコは、後半生をトレドで過ごした。
そこで、彼の住居も保存されている。
といっても、廃墟になっていた住居付近を
グレコ当時の様子に復原したものだが。
カテドラル
トレドの繁栄を象徴する大聖堂で、
1226年から建築、1493年完成。
その後、改築が行われ、
オリジナルの部分は少ない。
この寺院のように大がかりなものは、
どうやら百年単位で建設されるらしい。
私のような門外漢にはわからないが、
ヨーロッパの寺院では、
(スペインではイスラムのモスクとの融合があり、
『ムデハル様式』という)
<外からの採光方式の工夫>によって、
宗教的な荘厳さや美しさを醸し出すようだ。
天井近くに配置された天使や聖母像などを
鮮やかに映し出す。
また、礼拝などミサの儀式も
ロウソクなどの灯りと共に
外からの採光を利用するようだ。
ここの宝物室には、
高さ3m、重量200kgの金銀宝石などで飾られた
豪華な聖餅顕置台があって、
(日本のお神輿と考えてよい)
かつては、重要な祭りの時にこれをかついで
町を練り歩く儀式が行われたという。
忙しく見て回って、
やっとトレドの対岸のレストランで昼食となった。
昼食後、外へ出ると物売りのがいて、
よく見ると絵皿に焼き付けた私や
付近にいたパック旅行の人々数人が写っていた。
そういえば、トレド見物中に街角で
パシャパシャと写真を撮られたことを思い出し、
合点が行った。
いろいろ商売の仕方があるもので、
納得して絵皿を一枚買った。
その後、バスに乗り、
トレドを眺望するに一番いいという場所に移動し、
上記したように、
「なるほどこれがトレドだ!」と感心した。
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