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スペインの旅3
・・スペイン・ポルトガル旅行3
コルドバ市内~ポポロ広場~メスキータ
~ユダヤ人街~セビリア~セビリア大聖堂
~ヒラルダの塔~サンタ・クルス街
~フラメンコ・ディナーショー
~スペイン広場
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①コルドバ市内 ②メスキータ
③セビリア ④ヒラルダの塔
⑤フラメンコ・ディナーショー
コルドバ
グラナダから途中昼食をとって、
一路コルドバを目指した。
コルドバは、後ウマイア朝の首都で、
歴史的に、
イスラム勢力のイベリア半島進出・定着以後、
イベリア半島のイスラム文化圏の中心として繁栄した。
当時(といっても数百年間)、
コルドバはヨーロッパの文化的中心であった。
理由は簡単である。
先ず、イスラム文化圏が
世界的に見ても先進的であったこと。
東アジア・中国や南アジア・インドと接し
世界的な文化交流の中心であった。
例えば、インド数学の「0」(ゼロ)の発見は
イスラムに伝えられ、
今日のわれわれが使う数字は
アラビア数字を起源とする。
次いで、
古代ギリシア(ヘレニズム)の哲学・科学などの文献が、
組織的にアラビヤ語に翻訳されており、
イスラムの哲学・科学などイスラム文化が発展していた。
また、こうしたイスラム文化の成熟の中心が
イベリア半島の後ウマイア朝にあって、
これ以降、コルドバの学問の場から、
(イスラム寺院・モスク内の『マドラサ(学院)』)
イスラム文化がヨーロッパに伝わった。
最後に、
キリスト教的中世ヨーロッパ(ルネサンス以前)、
学問僧などの知識人は、コルドバに留学して、
例えば、
古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの著作の
アラビア語文献をラテン語に翻訳して、
キリスト教のヨーロッパにもたらし、
文化的な刺激を与えたのであった。
コルドバ到着後、
ホテルから「パエリアディナー」のため
レストランに向かった。
「パエリアディナー」
実をいうと、私は、このパエリアは好きではない。
もともと「混ぜご飯」をうまいと思ったことのない私は、
職場の近くのスペイン料理店で食べたパエリア以来、
本場スペインだって
うまくないだろうと思っていたので、
期待しなかった。
案の定で、やはり銀シャリがいい。
また、インディカ米の「おじやご飯」なんかいらない、
というわけ。
コルドバ市内
かつての繁栄のとき、
人口100万人を超えた大都市も、
(今から約1千年前)
現在、31万人という。
私の居住する東京・町田市と
ほぼ同じ(1千年前の町田は?)。
ポトロ広場には、
セルバンテスも泊まり、
『ドン・キ・ホーテ』にも
登場する旅籠屋「ポポロ」がある。
また、
シナゴガ(ユダヤ人教会・シナゴーグ)があり、
スペインでは、
こことトレドしか残っていない、という。
さらに、アルカサルなど見て回るところも多い。
注)アルカサル、トレドにもあった。
スペインの町には同名の地名などが多い。
例えば、「マヨール広場」。
これはメジャーから連想して、
「中央広場」意味か。
が何といっても、
やはり、メスキータ。
メスキータから
グアダルキビール川のローマ橋を渡ると
対岸にラ・カラオーラがあり、
これはローマ橋を守る砦。
このとき、私と同行者は、
わがパック旅行の一行の集合場所と
バスの乗車地点を間違えて、
このローマ橋を一往復半したのであった。
これは私の旅行中、唯一の間違いであった。
メスキータ(モスク)Mezquita
もともとは西ゴート族の教会があった。
後ウマイア朝を開いたアブデ・ラーマン1世が、
アッバース朝の首都バグダードに対抗して、
コルドバにモスクを建設した(785年)。
その後、何度かの増築によって、
2万5千人の信者が
礼拝できる規模になった。
次いで、
レコンキスタによってキリスト教のカテドラルが、
モスク中央の屋根を取り払って建築された。
こうしてメスキータの現在は、
イスラム教のモスク様式と
キリスト教のカテドラルが
混在しているという形になっている。
イスラム様式としては、
免罪の門(アルハンブラ宮殿では裁きの門)から入り、
オレンジの中庭の噴水で足を清め、
シュロの門からモスク内に入りミラーブに至る。
ミラーブというのは
聖地メッカの方角に刻まれたくぼみ、
この前で歴代カリフが礼拝した場所がマスクラ。
イスラムのモスクは、多くの信者の礼拝のために、
モスクの採光では外光を取り入れる門や窓が多く、
「明るい場」であった。
これに対して、
キリスト教のカテドラルは
むしろ「暗い場」であって、
採光上の工夫でも、
窓は「ステンドグラス」を用いた。
「コーラン」を読誦する明るい場としてのモスク、
「聖書」を読誦する暗い場としてのカテドラル、
この対照的な雰囲気が
微妙(奇妙?)に調和するのが、
現在のメスキータということになる。
また、イスラム教では沐浴(水浴など)を大事にする。
この点では、日本の清め(穢れを祓う)と同じ。
ユダヤ人街
有名な「花の小道」を通った。
細い路地に白壁の家と花鉢、
後ろにメスキータの塔(ミナレット)。
現在では、コルドバの観光名所になっているが、
ヨーロッパのユダヤ人迫害の歴史からいうと、
要するにゲットーであった。
ユダヤ人ゲットーといえば、
ナチスドイツによる悲惨な様子を思い浮かべる。
それに比べると、
ここははるかに優雅な小道であって、
迫害の歴史を忘れ去る場所でもある。
セビリア
コルドバからセビリアへ向かうバスから見ると、
周囲はオリーブとブドウの大農場が続く。
そういえば、グラナダからもそうであった。
アンダルシア地方は
スペインでも豊かな土地であって、
それだけいっそう大土地所有が発展し、
現在でも大地主・農園所有者層が支配的であって、
そのためアンダルシア地方の所得格差は大きく、
貧しい農民層が存在するという。
バスの中から見上げる太陽の輝きは、
日本の夏を思わせる。
さすがに地中海沿岸のこの一帯は、
日本の12月末(年の暮れ)頃と違い、
初夏ないし初秋(残暑を終わった)時期の様であった。
また、雨もない。
また、昨日、
グラナダからコルドバへ向かうバスの中で見た
夕焼けも素晴らしいものだった。
日頃、都会の中に住む私たちには、
低い大地の上に朱色に染まった
鮮やかなの空の景観は、
感動を呼ぶものと思う。
セビリア大聖堂
このカテドラルは、スペイン最大でかつ、
ローマのサンピエトロ寺院、
ロンドンのセントポール寺院に次ぐ規模。
しかし、前の広場が小さいようで、
圧倒的な偉容という感じはなかったのは残念。
内部の主礼拝堂は
聖書の場面が彫刻された金色の木製祭壇がいい。
また、コロンブスの墓もある。
(スペインを構成したカスティーリア・アラゴン・
レオン・ナバラの4人の王が棺を担ぐ)
スペインではコロンブスは
ほぼ聖人扱いの特別待遇を受けていることが分かる。
カテドラル内のステンドグラスは美しい。
一般にキリスト教会の採光の工夫上欠かせないのが、
このステンドグラスであると思う。
薄暗い内部に
神秘的な色彩が施される効果が生まれる。
ヒラルダの塔
カテドラルの一部をなすのがこの塔。
12世紀末に、
イスラム・アルモアド族により創建された。
(北アフリカから進出、イベリア半島に
イスラム王朝をつくる)
ヒラルダとは「風見」、風見鶏のそれだが、
この塔には
高さ4m・重さ1トンを超えるブロンズ像があって、
風によってこれが回転するという。
塔の高さは97.5mあるらしいが、
塔には階段がない。
かつては、
この塔に登るときは馬で登ったという。
かくして私たち一行は、
緩やかな坂道をぐるぐる回転しながら
塔の見晴台まで登ったのであった。
(途中息を切らしながら)
そばに、また、アルカサルがあり、
このアルカサルには、
時々、現在の国王がやってくるという。
残念ながらこの日は休館だったので
内部に入れなかったが、
その庭園を見た。
それで、庭から内部を覗こうとしたら、
突然、シェパード犬の唸り声がしたのであった。
ここもどうやら、
開放しないときは警備が行われているらしい。
サンタ・クルス街
ここもかつてユダヤ人街であったという。
入り組んだ細い道には
「生命」や「死」にちなんだ名が付いている。
白壁の家、バルコニーの花、
中庭の噴水や鉢植えなど。
コルドバのユダヤ人街に似ている。
フラメンコ・ディナーショー
ホテルについて、
今晩は、フラメンコを見る。
日本で1度か2度
フラメンコのショーを見たことがある私は、
本場フラメンコに多少興味があったが、
なかなか良かった。
踊り子の女性はきれいだし、
男も声を絞った独特の歌い方がうまい。
スペインにはフラメンコ学校があり、
優秀な踊り手や歌手・演奏者を育てているとのこと。
テーブルが100席ぐらいありそうなレストランで、
やはり団体旅行客が多い。
日本人グループも当然?いる。
ワインを飲み料理を食べいい気持ちで
ほぼ2回、ショーを見てしまった。
実はこの旅行の添乗員が、律儀な人で、
ショーに多少遅れてショーが
すでに始まっていたので、
また最初から
ショーを見られるように手配したのであった。
ホテルからレストランまでのバスの時間が、
添乗員に伝えられた時間より
かかってしまったようだ。
おかげで2回ショーを見ることができたわけだが、
ホテルに帰る頃にはすっかり疲れてしまった。
この添乗員は、契約社員で、
聞くところによると、
勤めていた船舶会社が倒産したので、
英語力を生かして
現在の添乗員の仕事に就いたとのこと。
また、旅も好きらしい。40歳がらみの独身男。
かなり真面目そうで余り冗談も言わないタイプ。
それだけ仕事ぶりには信頼を置いてよさそう。
スペイン3日目
ポルトガルへ
いよいよ今日はポルトガルへ向かう。
午前中は引き続きセビリア市内見物を行った。
カルメンが働いていたという
「タバコ工場」(現在は大学)や、
「マリアルイサ公園」から
「スペイン広場」を見て回った。
スペイン広場
ここは、博覧会で作られたパビリオンがそのまま残っており、
一部は各国の領事館などとして現在も使用されている。
日本の万博などのパビリオンは「仮設」という感じが強いが、
そのまま居住できる建物であった。
スペイン広場の中央には
博覧会の中央会場となった大きな建物があり、
半円形のアーチの下には
スペイン各県をモチーフとした紋章・浮き彫りなどが、
50近くズーと並んでいる。
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