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広開土太王(クァンゲトテワン)
・・・日本では<好太王>として周知。
朝鮮史では<高句麗王>として一番有名。そして、日本とも関係深い。
高句麗王の系図 :広開土王は19代王。
日本では「好太王」と知られて、その事績を記した碑文の読み方をめぐって学説・論争がある。
碑文には、以下のように書かれている。
「(西暦391年)、辛卯の年に倭が渡海して、百済・□□・新羅を破った。
(......400年)、庚子、王は新羅救援して倭軍を破った。」
広開土太王の石碑と碑文
・・・息子の長寿王により父王を顕彰するため作られた。
石碑
石碑と碑文 :記事の写真から
碑文 :左側が新発見された拓本。私にはよく分からないが。
史実はどうであれ、日本史では<倭の五王>以前の話で、とても私の手に負えない。
一応、広開土王碑についてリンクを作成した。
王碑へのリンク
韓流ドラマ「広開土太王」を見ながら、とりあえず、その背景を知っておこうかなと、
地図や<碑文>を調べたのだった。
*また、卑弥呼の邪馬台国~大和朝廷を繋ぐ説として<九州王朝説>もあったと記憶している。
4~5世紀、高句麗の最盛期の地図
地図① :首都は国内(クンネ)城。現在の中国吉林省集案市。
地図② :5C半ば、最盛期の地図(友人から)。ハングルなので読めないが。
広開土太王(好太王)の肖像画
肖像画 ドラマのタムドク役の俳優、イ・テゴンとなんとなく似ている。
以下は、
韓流ドラマ「広開土太王」より。
上、中央は広開土太王(タムドク)役のイ・テゴン。
・・・如何にも戦う大王の貫禄十分な容姿を見せる。
タムドクの左は、トヨン役のオ・ジウン。
・・・まさに<悲劇のヒロイン>(下記)。
タムドクの右は、ヤギョン役のイ・イネ。
・・・高句麗のコム大将軍の娘。
タムドクの妃となる。妃の気品があるが、
トヨンがいなければとも(もともとタムドクに想いを寄せている)。
左端は、ソルチ役のキム・ジョンファ。
・・・靺鞨族長ソルドアン妹。
初め敵対するが、タムドクとソルドアンの仲立ち、タムドクに尽くす。
靺鞨族の女戦士の野性味を合わせ持つ。
右端は、タムジュ役のチョ・アン。
・・・タムドクの妹。
人質同然に、後燕皇太子に嫁ぐが、兄のため力を尽くす。
息子ホアンをかばい死ぬ。
さて ドラマでは、広開土太王(タムドク)は
さまざまな苦境を粘り強く乗り越える。
弱体化していた高句麗の周囲には、鮮卑族の後燕や百済という強敵が存し、
また、靺鞨族、新羅など。
さらに、国内では王をも凌ぐ実力者国相ケヨンスがいる。
ドラマは、戦いはもちろん策略や陰謀、
<今日の味方は明日の敵(逆もある)>などなど、
目まぐるしい道具立てで進行する。
そうした中、
私は<悲劇のヒロイン>トヨンに私はいたく同情した。
タムドクの宿敵ケヨンスの娘。
タムドクと恋仲で彼の子を宿しながら流産してしまう。
父を殺されてタムドクの元を離れ、行方不明。
やがて百済で王子アシンと知りあい、彼に好意をもたれる。
トヨンは敵対するタムドクとアシンの間にあって彼らの戦いを避けたいと願う。
願いむなしく、高句麗と百済の激戦のさなか、
アシンを狙ったタムドクの矢を身体に受けて死んでしまう!
トヨンの死のシーンは、
自分をかばったためと知った
アシンがタムドクとの和解するシーンでもあった。
<余談>
①当時の大和朝廷って富士山の麓にあった??
この時代の道路にU字側溝があった??とか
ドラマは突っ込みどころ満載だが、
いろんな戦うキャラや武器があって、お話として面白かった。
そうそう、倭を服属させたシーン、
<ないないない~>と思ったが、韓国ではそういう説もあるようだ。
②事実もあり、フィクションんもあり、いいじゃないかと。
歴史モノは史実だと思ってみると他のドラマとで矛盾が一杯出てくるので、
大半はフィクションと思って楽しむのがいい。
例えば、
ドラマ「トンイ」のヨニン君はかわいい賢い王子だが、
「秘密の扉」では悪辣かつ憎々しげな王で、例の<米びつ事件>を。
監督、脚本家によってドラマ作りが違う。
でも、そうなんだと見てると面白い。
③ただ、「広開土太王」のタムドクを悪役に描く韓流ドラマはないだろう、
朝鮮史上、最上の英雄だから。
高句麗関係のドラマへのリンク
チュモン(朱蒙) :高句麗の開祖、八咫烏の紋章
風の国 :3代王・ムヒュル
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