トップ
能登の旅1ヘ戻る
能登の旅4 :加賀屋~富山~帰途へ
能登の旅3
・・ランプの宿から加賀屋へ
ページ内リンク
須須神社 見附海岸 ガラス美術館
加賀屋
第三日目
3月22日(月)
朝食後のオプション見学に「青の洞窟」と「スカイバード」があったが、
昨夜添乗員から参加の可否を確認されたとき、
私たちは参加せず、宿で寛ぐことにした。
これまでどんなツアーのオプションにも欠かさず参加していた私たちは、
天気予報が雨模様というばかりでなく、
昨日の須須神社再訪による心理的な疲労感が、
無意識ながら残っていたことの方が大きかったようだ。
朝食後、私は<一服したい>と本館の外の喫煙所に向かった(晴れていた)。
宿には「浜の離宮」という2階建て4棟の黒塗りの別館(離れ)があり、
この別館に面したちょっとした坂上に喫煙所が設けられていた。
下の写真、浜の離宮。ランプの宿ならここに泊まりたい。
煙草を吸いながら、
そういえば昨日のホテル八汐では<タバコを吸ったけか>と思うが、
全く記憶にない。
私は携帯灰皿を常備していて、バスを降車して歩いて見学地を廻るとき、
その歩く道すがら、目立たないように一服していたが、
八汐の館内・館外でどうしていたのだろうか?
喫煙所の周囲を見渡すと、
昨日スイッチバックして降りてきた道や崖上の建物が見える。
あの建物が地下水を汲み上げている?とか、
写真を撮ったりして、一服(二服)する。
喫煙所の傍らに置物があった。何だろうか、釣竿を持っている。
置物 :人らしいのだが?
坂下の別館に行くと、戸が開くので中に入る。
そこは廊下になっていて、ランプの宿の代名詞(写真)ともいえる
ランプがずっと並んで下がっていた。
後ろの奥も廊下、ずっとランプが並んでいる。
部屋で休息したり、別館の休憩所で海を眺めながらコーヒーを飲んだりするうちに、
雨模様になり、オプションに行った人たちはどうしたかなと思う。
宿を出発する時間になり、
私たちは本館の前で記念写真を撮ってもらって、
崖上の駐車場に向かうことになった。
社長さんにお礼の挨拶をと思うが、すでに出かけていた。
この時も、親切に私たちは宿の女性マネージャー(仲居頭?)らしき人の車で駐車場に行き、
降車すると、彼女の名刺をもらう。
コロナ禍の終息後に<また、来ます>と挨拶した。
須須神社
10時頃に駐車場を出発、「見附海岸」に向かう。
途中、車窓から昨日再訪した須須神社が見えた。
ガイドの話では、義経が海難を救われたお礼に「蝉折りの笛」を奉納したという。
注)「蝉折りの笛」とは、<壇ノ浦の合戦>で義経が得た戦利品。
これにも、義経と平時忠の縁がうかがえる。
この話は、猿女宮司さんからは出なかったが、
能登の<義経伝承>にまつわる話だ。
下の写真、義経の笛と弁慶が寄進した<守り刀>
須須神社の「奥宮」は山伏山にあり、
「山伏山」は古来から北海航行の目標とされ、また御神体山であったという。
前日休憩した道の駅「狼煙」にも近く、禄剛崎灯台とも縁が深い。
詳しくは、須須神社へのリンク。
須須神社へのリンク
「見附海岸」
「見附島」は空海が布教の折に<見つけた>ことに由来し、
別名、島の上は樹木に覆われて船のように見えるから<軍艦島>という。
また、海岸は<えんむすびーち>の名で知られ、
恋人たちの聖地となるというが、私にはよく分からない。
軍艦島の海に面して<弁財天の祠>があり、かすかに海面に鳥居が見える。
海岸から島に渡るような石を積んだ小道が造られているが、
島の側で切れていて実際には渡れないらしい。
見附海岸から昼食に牡蠣の専門店に向かう。
七尾湾名物の<牡蠣づくし>という焼き牡蠣を食べる。
バケツ一杯に20個の生ガキ(二人分)が配られ、
2・3個の生ガキを自分たちで炭火の網に乗せて焼く。
店員が焼け具合を教えてくれて、焼けたら裏返す。
これを繰り返すわけだが、途中生ガキが口を開いたのか、
パチ、パチッと音を立てて貝粉が跳びはねてくる(避けられない)。
しかし、多少手間どいながらだが、やっぱりカキは旨い。
私は12・3個(妻の分も)食べて満足した。
さて、バスは能登島へと<ツィンブリッジのと>へ向かう。
このブリッジは四国の瀬戸大橋を模して造られた。
ツィンブリッジ :ホテル加賀屋から見えた。
「ガラス美術館」
ブリッジを渡り能登島に到着、ガラス美術館を見学した。
モダンな造りの美術館で、外観は宇宙基地のようだ。
名高いヴェネチア・ガラスを手本に<能登島にガラスを>と
ガラス工房、さらに美術館と至ったという。
現代ガラスアートの企画展では、現代の日本芸術家たちの作品を見た。
私はガラスアート余り見ないので、珍しい体験だった。
収蔵品にはピカソやシャガールらのデザインを模した
ヴェネチアの制作品(ピカソの「おどけたフクロウ」など)、
また、ダリが共同制作したガラス諸作品が展示されていた。
特に、ダリの有名な絵画、<ダラリと垂れた時計>のようなガラス作品もあった。
残念ながら、館内写真撮影禁止だ。
日本の美術館はどうしてこうなのだろうか、川崎の岡本太郎美術館は例外だ。
能登島から<能登島大橋>を渡り、いよいよホテル加賀屋に向かう。
ホテルに午後3時半頃到着。ここで、観光バスと別れる。
バスガイドさんは、時には感情を込めて上手に説明してくれていた。
ホテル「加賀屋」
和倉温泉の加賀屋は日本でも有数な温泉ホテルという。
皇族たちが能登に来ると定宿にするらしい。
また、松本清張が「ゼロの焦点」の執筆と取材のために泊まった。
ランプの宿と大違い、
10階以上のビルが3つ立ち並んでいるような外観だ。
注)60年前の映画では、日本家屋の大きな旅館のようだった。
私たちが泊まった部屋は
12階建ての渚亭(雪月花は20階建て)の815室だった。
部屋で、係の仲居さんから部屋やホテル内の説明を聞いた後、
私たちは温泉や夕食には十分な時間があるので
<館内美術ツアー>に参加した。
加賀友禅や九谷焼、輪島塗などの美術品の鑑賞をしながら、
ガイドの説明や案内により、ちょうど広い館内を見て回ることができた。
下の写真、百貫華峰作「花鳥の図」(加賀友禅)
12階建<渚亭>のエレベーターの前は吹き抜けになっていて、
エレベーターを昇降するたびに<四季の花>と題された
各月(各階)に飾られた大きな友禅織りを見ることができる。
その後、仲居さんに聞いていたホテル玄関外の喫煙場所に一服しに行った。
館内でも喫煙所があり、
渚亭から<錦小路>(街道筋のように土産物などの店が左右に並んでいる)を
抜けた左側にあり、さらに2階の温泉入浴場の向かいにあった
(<美術ツアー>の際に見つけていた)。
夕食前に<一風呂浴びよう>と、ホテルの温泉浴場に行く。
バスガイドの話では、和倉温泉の源泉は塩泉で80度ぐらいある、と。
特に、塩分濃度が高いので身体に着いたままにしないよう、
上がるときにはシャワーを浴びると良い、と。
男湯は一つ、中にサウナや露天風呂もあるが、
私は特に温泉好きというわけではないので
大浴場に入った(八汐やランプの宿でも)。
温泉は特に熱くもなく塩分も強くなく、普通の感じだった。
入浴を済ませた私は、見つけていた喫煙所に入って一服した。
夕食は、加賀屋も<売り>にしていて
十品以上というより、<前菜>だけで九品もある。
その中で<干しくちこ>は、
ナマコの卵巣を塩漬けにして陰干ししたもので、能登の高級珍味という。
これだけが別に紙で包んで出された(味わいは今では忘れてしまった)。
妻は、煮物として<のど黒煮付け>が美味しかった(私も同感)と。
脂の乗ったのど黒を、
加賀麩(すだれ麩)や県産椎茸と炊き合わせたもの。
また、台物として<鮑温泉蒸し>、
車エビや神馬草(これは地野菜という)も加えた蒸し鍋もいい。
下の写真、上が鮑温泉蒸し。下がのど黒煮付け。
その他、加賀名産の品々が出て、まさに<食を満喫>した。
夕食後、妻は旅行土産の仕上げを加賀屋で行おうと、
錦小路や大路を見て回り、
3万円以上買い上げると配送料無料というので、
あれこれ買い、大きな段ボール箱に、
ついでに不要になった荷物も一緒に詰め込んだ。
さて、寝る段になって、ベッド室があり、
3泊の最後に慣れた生活に戻れてホッとする。
部屋は3間あり、椅子に座りテレビも見られる。
トップへ戻る