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*フィレンツェ編
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ヴィーナス誕生
聖母子像
ウフィッツィ美術館といえば、
サンドロ・ボッティチェッリ作の「春」と
「ヴィーナス誕生」が欠かせない。
また、リッピの聖母子と同様、
盛んに「聖母子」が描かれている。
下 「春(プリマヴェーラ)」
1482年頃。板に油性テンペラ。
テーマは、難解な寓意画で解釈が多々あるが、
ポリツィアーノの詩編からとられたという。
「春(プリマヴェーラ)」
右端に羽の生えた西風の神ゼフュロスが、
妖精クロリスを捕まえている。
ゼフュロスはクロリスと結婚し、
彼女に花を芽生えさせる能力を与えた。
ゼフィロス :西風の神。春の訪れのしるし。
花の神フローラ(クロリス)と結婚して花々を生むという。
クロリスの右隣の花の衣装を着た女性が、
クロリスの変容したローマの春の女神フローラ。
フローラ :古代における花の神(ニンフ)
*ギリシアでは花の神はクロリス、ローマではフローラとも。
その隣がヴィーナス。
左端は、メルクリウス(マーキュリー)で、翼の生えた靴を履く。
その右の三美神が<自由>を、
メルクリウスが<認識>を象徴するという。
なお、作者のボッティチェッリとは
「小さい樽」という意味のあだ名。
フィリッポ・リッピやヴェロッキオの工房で
弟子生活を送るうちに付けられた愛称
ヴィーナス誕生
下図 「ヴィーナス誕生」
1484年頃。リンネルにテンペラ。
当時では珍しくキャンバスに描かれた。
絵具は「春」と比較して、
薄められた卵の黄身と薄いニスの混合液が使われ、
フレスコ画のような効果が出されている。
「ヴィーナス誕生」
ヴィーナス(アフロディテ)
ウラノスの男根が切り取られて海中に没し、
その泡から生まれたとされる。
キュテス島(またはキプロス島)に
たどり着いたヴィーナスが、
風の神ゼフュロス(抱き合うのはアウラ)が
吹いて起こす風に乗ってきた。
ゼヒュロスは、口元から風を吹き出し、
その周辺にバラの花をまき散らし、
泡立つ海にその香りを発散させている。
バラの花
花言葉は「勝利の愛」「愛の歓び」
ギリシアではヴィーナスの聖花とされ、
ルネサンス以降その持ち物となった。
ルネサンス期では
美しさと芳香のゆえにヴィーナスに擬せられ、
その棘による痛みは<愛の痛み>になぞらえられた。
キリスト教では聖母マリアと特に関連深い花とされ、
マリアは「棘のないバラ」(清純・純潔)とも呼ばれる。
全裸のヴィーナスのポーズは、
その立ち姿は右手を折り曲げて胸に当て、
左手をわずかに曲げて手で局部を隠す。
これは、
「慎みのヴィーナス」と呼ばれる古代の聖像形式に由来する。
*同様な形式に『メディチ家のヴィーナス』
右の迎える娘は時の女神ホーラ
ホーラ :時の神(ニンフ)。
時間(hour)の語源はホライ(Horae)で、
時を象徴する。
ホーラがピンクのマントを広げてヴィーナスを迎えようとしている。
これは新プラトン主義では、
裸体(天上の存在の象徴)のヴィーナスに
着衣させる(地上の存在を象徴)ことによって、
天上の愛の世俗化を意味させた、という。
ピンクのマント
雛菊の模様の付いた金の縁取りがある。
雛菊は純潔のシンボル。
ホーラの衣服 :模様はナデシコか?
ホタテ貝の貝殻
ヴィーナスの持ち物とされる。
ヴィーナスは泡から誕生した後、
貝殻に乗って、あるいは貝殻を片手に持って岸に漂着する。
「春」、「ヴィーナス誕生」の両作品とも、
ロレンツォ・メディチの支配する
フィレンツェ・ルネサンスの全盛期の作品で、
ピエル・フランチェスコ・デ・メディチが描かせた。
彼は、
新プラトン主義者のマルシーリオ・フィチーノの弟子で、
両作品に新プラトン主義的な意味を持たせたといわれる。
当時の知識人は、これらの寓意画の解釈を競い合ったという。
また、絵具のテンペラとは、
例えば、卵黄または卵白を主媒剤とし,
蜂蜜やイチジクの樹乳などを混ぜた不透明絵具,
およびこれで描いた絵(テンペラ画)という。
テンペラはイタリア語で<混ぜ合わせる>の意味のようだ。
中世末からイタリア・ルネサンス初期に盛行したが,
油絵の出現後衰えた。
*現代の画家でも、テンペラ画を描く画家もいて、
良い絵具ということらしい。
聖母子像
次いでウフィツィ美術館の「聖母子」画を紹介する。
同じく、ボッティチェッリの「マニフィカートの聖母」
ラファエロ・サンティ作「ヒワの聖母」
他に以下の2作品、
これらは東方教会の<イコン画>に似ている。
西欧ルネサンスが花開く、ちょうど過渡期の作品か。
ジョット・ディ・ボンドーネ作「荘厳の聖母」
チマブーエ作「荘厳の聖母」
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